久々に文章を書こうか。

10年間、起業したい大学生が入会するビジネススクールの中の人として働いていた。
僕はそこで、大きなキャリアを作ることになるのだが、中でも評判がいいのがブログだった。

こんなメディアを作ってしまうように「最先端の発信」と「ブログ執筆」が好きなのがぼくだ。
ビジネススクールは前職となり、悪い言い方をすれば、継ぎ接ぎした誤魔化しで年下に優しくする輩を見捨て、優しさはより美しく尖らせることにした。
20歳で定めた人生設計通り、30歳までは経営の勉強をして、30歳から経営者になると決めたぼくは、めでたく起業したいことを見つけている。日夜Live Action Role Playingというジャンルの現実世界にゲームをつくるビジネスのために開発に励んでいる。

シェアハウスやらイベントやらコミュニティやら、大学生に関わる商売は依然とあれども、数百人に対して毎日ブログを書くという仕事は失われつつあった。

物書きとしても、セールスライティング講師としても、お目にかかる残念な人間というのはみな

最近長い文章書かなくなっちゃったんですよね

なのである。これは学校で例えるならば「卒業」ではなく「不登校」だ。あなたは文章がうまくならずに、適当な言い訳をつけて諦めた。これが真実だ。

そんな自他ともにブログで生計を建ててきた僕が、長い文章をあえて書かない、などと至極ダサいスタンスをとるはずもなく、この研いだ刃はこれからも輝きを増していくだろう。


第一章:現代は「リアル・エクソダス」

エクソダスという小説を知っているだろうか。

2000年に書かれた若者が社会で革命を起こす小説。ディテールがネットビジネスで構成されていたり、風刺が効いている。まさにこの時代が到来したと心穏やかでない人は読者に多いと思う。今日はこの話と被らせる。

この小説の名言に「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」というセリフがある。現代を象徴するように共感してしまうだろう。未来予知的な文脈として読むこともお勧めするが、僕はこのエクソダスという言葉の訳である「国外一斉脱出」という裏腹について主張したいことがある。それは国外など存在しない。自分のなかにある鎖国を解禁するか、いまここで死ぬかということだ。


第二章:「ゾスか、ゾス以外か。」という我々の大不安

最近ビジネス界隈を賑わせているのは「ゾス」という魔力だ。

昭和の時代にそぐわないハラスメント無視の結果主義、所謂「体育会系」を象徴したゾスというカルチャーと、無理やり引き合いに出されバトルになってしまった「Z世代」という風物詩。後者は競争を望まず脱成長的なカルチャーの虜にあり、マーケティングコストも否が応でも安いのがZ世代に迎合した接触回数と接触面積を増やすリレーションシップだ。しかし、ゾス文化体質だった日本はかつて、GDPトップランカーであり、世界ビジネスの王様であり、私たちが世界を牽引していた時代が長く続き、Z世代の経済はゾスのスネである。

しかしぼくがこの言論プロレスに感じるのは兎に角、みんな自分1人でいると不安でしょうがないから理念とか将来には蓋をして、人の話やトレンドに興味をもったことにしてお茶を濁しているということだ。


ぼくは2014年から10年間、インキュベーション事業の経営の中枢、教育の中枢に関わり、しょぼい自分ながらに相当低く見積もっても1500名程度の若者の「人生設計のゆくえ」を観測してきた。サービスをしたかどうかを適当にカウントしたチャラくて凄そうな実績とは大違いだ。俺がフィードバックし、時には詰めて、愛を持って接し、そいつの人生を考えて本音で喋り、交渉をし、そいつが結局どうなったかを週次のコミット単位で味わい、分析してきた。時代は進んだ。コミュニティ事業がまだないと言われていた時代から、もうオワコンという時代がきた。最近ではインフルエンサーマーケティングは斜陽産業なんて話を業界人から聞くようになった、いまはコミュニティ産業こそがインフルエンサーの大陸移動先だとか。話が脱線した。そんな話はさておき

何のビジネスでどう働くかではなく、お前が何をしたいのかだし、話題や周囲の人がどうしたかではなく、お前がお前について考えたか、これが社会の中でだんだん見えないようになって、ぼやかされて、それをしない危機感に気付かない、気づかなくても問題ないそれより大変なことがあるという世の中になっている。

すごく難しいことかもしれない
たぶんだが殆どのひとは、そんなこと敏感に思わないだろう
考えても無駄。完了思考で行動あるのみ。もしくは環境に流されるべき、みたいな
自分を正当化する音楽も、ロールモデルも、コミュニティも、優しいコーチングも
この社会には増え過ぎてしまった。お金もかからない。
悩みがあれば紙とペンを取り出さなくても、音声入力でchatGPTに会話したり、一昨日なんかは「電話でchatGPTと相談できるサービス」まで国内に出てきた。


だからこそ、もう一度書いておこうかな、

何のビジネスでどう働くかではなく、お前が何をしたいのかだし、

話題や周囲の人がどうしたかではなく、お前がお前について考えたか、

これが社会の中でだん
だん見えないようになって、ぼやかされてる。
それをしない危機感にも気付かない、
気づかなくても問題ない
だって「それより大変なことがある」

という世の中になっている。

本当に、それ より大変なことって世の中にあるのかな?

俺は不思議です。ということでタイトルをもう一回読んでくれて、なんか感じてくれたら嬉しいです。
久々のブログでした🎵

PS 本当に大切なことって、今大人が悩んでいること、焦っていること、不安で死にたくなるほど考えていることを伝えるべきだと思うんだよね。子供に自分の武勇伝を伝えるなんて、浅ましい教育、やめようぜ🔥