初めまして。mugendayo を運営している 8nch こと 炎山 友秋 です。
僕のプロフィールに関心を寄せてくださりありがとうございます。mugendayo をつくった経緯や、どうして記事を書いているのか?など、僕の生い立ちや経歴について、お話しさせていただければと思います。未来の様々なご縁のために、頑張って書いてみます。
8nch について
ぼくは1994年8月5日生まれの28歳です。現在メイン拠点を大阪市。サブ拠点を糸島市・渋谷区・セブ島と複数の街で暮らしています。出身は神奈川県の横浜ですが、記憶は殆どありません。2歳のとき、神奈川県茅ヶ崎市、いわゆる『湘南エリア』に引っ越し。それから実家を出る20歳まで湘南で過ごしました。
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湘南の画像スライドショー
【幼稚園】
「えんぴつランド」という文字を綺麗に書く習い事に通っていて、文字は綺麗に書いた方がいいんだと学びました。足が速い友達がめちゃくちゃ羨ましかったのを覚えています。僕は根っからのゲーム好きで、一番最初のきっかけが「FFⅦ」です。父親がやっていて、イン&ヤン(恐らく)が倒せなくて苦戦していました。「やってみなよ。難しいぞ。」と言われ、イン&ヤン(恐らく)と 2歳の僕はバトルしたら、勝てたんです。「うわ!すごいな!どうやって勝ったんだ?」と褒められた時、僕はゲームがうまいんだなと幼いながらに思いました
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イン&ヤン倒し方を書いてる雑誌
忘らるる都
アルテマウェポン
その次にやったゲームが「SFCスーパーマリオワールド」です。小学校より前にやってた気がするなあ。
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スタッフもびっくりお楽しみコース
お化け屋敷入るところ
時間をかけたわけではないけれど、あのワールドマップの世界観が、とてもワクワクしたのを覚えています。唆られました。バターブリッジ、迷いの森、沈没船すべてが没頭できるマップだったんです。自分がゲームの中に入ってプレイしてる感覚が、なんとも言えないドキドキがあって、今でも0からやるとワクワクします。
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砂漠MAP
バターブリッジMAP
【小学校低学年】
幼稚園から高校まですべて、実家から歩いて20分の近場。僕の活動拠点はそこと、ゲームとネットでした。実家は一軒家で、35歳に僕がなるまで借金の家。両親は共働き、海外旅行・家庭教師・ピアノは習ったことはありません。1階にお爺ちゃん、お婆ちゃんが住んでいて、二世帯の典型的な核家族。エリート要素はないけれど、お金のトラブルもない。たまに両親が喧嘩してたり、僕が妹を嫌いだったり、そういうのも本当、平凡に育ちました。
そんな高いローン実家の裏口にミントが育っていたのですが、摘んだときにふと「人って死んだらどうなるんだ」と考えました。この瞬間、知らない/新しいことを調べたい!と考え、リビングのデスクトップPCを両親の真似して、興味本位で検索しました。すると
「2ちゃんねる」というサイトを見つけました。人が死んだら記憶も消える。そして天国と地獄は無い。ついでになんか、エロい動画とか、無料で音楽が手に入るサイトとか、芸能人の裏話とかを知りました。ここで好奇心がヤバいことになりました。インターネット凄え…まるでゲームの改造コードのようだと。そして、死んだら魂もなくなる、というのが不思議でしょうがなかった。僕は人生が終わった後すらも楽しめるコンテンツ(死後の世界)があると妄想し、楽しみになりました。だから死のうと思ったことが何度もあります。
母親が買い物をしている間、「モーリーファンタジー」で遊んでいいよと言われました。ゲームセンターです。100円で15枚が買えるメダルゲームに激ハマりして、週5で通う常連になりました。学校が終わるとジャスコまでチャリを飛ばしてメダルゲーム。土日は朝9時のジャスコが開くと同時に「モーリーファンタジー」へ全力疾走。ガチメダルゲーマー同士の台獲り合いがあるんです。私物で場所取りして、メダルを2-300枚おろす。12時に食品売り場のウインナー試食、はなまるうどんかけ小、フードコートの水で食事。年齢制限の18時までひたすらメダルを稼ぎます。平日2-3時間、土日は8時間。一生楽しかったです。遊戯王もハマってました。将来の夢は『ブルーアイズホワイトドラゴン』でした。転校生に盗まれたりしてました。
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ジャスコ茅ヶ崎店の自転車置き場
【小学校高学年】
小学校4年生で『万引きチーム』と『秘密基地』をつくりました。放課後になるとジャスコや駄菓子屋、もしもこれが自分でいじれたらと、将来の夢は『ゲームセンターの店員』でした。なので、メダル詰まりの直し方を勉強してました。