なんかあんまりこういうこと言わないようにしてるんだけど自分のなりたい像って、たまに考えるようにしてて。いや、否定したいわけとかじゃないし、「すごいなあ」と思った人を見て「この人のマネしたいなあ」みたいな角度の話なんだけど
今、いかがわしいものが必要だ。みたいな風潮があると思っていて、それは「常人には理解されない革命」だったり「社会不適合というかヒッピーみたいなマインド」だったり、そういう世の中をまるっと変えてしまうような助けを求めている人がいる時代には訪れるカルチャーが、まさに今だと思っている。2023年夏ごろから次第にそういう風潮が匂ってきてこれが2026年春くらいにピークアウトするんじゃないかって勝手に思ってる。
そんで、いかがわしいものの表面を真似た凡人が何者かになろうと有象無象の目利きをしなきゃいけなくなり、ニューカマーに飽き飽きとしてきた時に、果たして何が大事になるんだろうって考えてた。
別に、どんなときでも活躍しているような人になりたいわけではないんだけれども、ぼくは起業をするなら「落合陽一さん」のように歩んでいきたいと考えている。
スマホの待受はそろそろ1年これになる。落合さんの言葉。
次はどんな波が来るんだろうっていうのを予言したり、そういう世襲を楽しんだりするのって一つのレバレッジ施策というか、情報としての価値がありすぎるし、SNSってみんな第一次情報を探して、そこに貢献する人が評価されていく社会だから、それだけで社会の公器として成立しているのはそもそもなんだけど、逆に「起業」ってそれだっけ?と怪しむ時がある。言葉の定義じゃなくて、元来の「業を起こす」ということへの憧憬ってそれだっけ?的な。
僕にとっての起業は、世の中にはまだないけれど必要になるであろう「プロダクト」を「発明」して「制作」し作品として「販売」することだと考えている。
だから、どんなにプロパガンダが流通しても、絶対にその波が自分という渦の本質にはならないようにしたいし、自分を作品化して売り込むのではなく、作品の営業マンに自分が馬車馬のように働いていきたい。
そんなことをふと思った夜でした。写真は今月のシャシ単元の様子
楽しいよ。車を一番最初に作り終えた人は一体どんな雄叫びを叫んだのだろうか