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>>長野刑務所で入れられた独房には、時計がなかった。

いつから次の食事なのか、いつから作業がはじまるのか、外から呼びかけられないとわからない。これもまた、受刑者から「自分時間」を奪うための巧妙な仕掛けである。

こうなると、何やらとても「退屈」なのだが、かといって、自分で何かをする気にもなれないという中途半端な状態になる。

このとき確信したのが、「暇=悪」ということだ。

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>>>あくまで「他人を喜ばせる仕事」しかしていないということだ。だから彼らは「忙しい」と口にする。

気づけば、いつでも合言葉のように、「最近、ちょっとバタバタしていまして…」などと言っている。

いやあ、身に染みる。。。さすが堀江さんですよ。。。

誰かのために生きることが人類全ての人にとっての根源的な目標であるなんて真理だとしたら、僕はそれの第一発見者として異を唱えたい

正義というのはいいよう。

あくまであなたのやりたいことです。

暇になるとダメ=暇にならないように予定を埋める

そんな、暇を忙殺する行為はどこか

正解そうだけど全然ダメだ。本質は予定を埋めることではない、

楽しくなることだ。楽しくなることに全力に時間を投資する、お金を投資する、毎日頑張って朝早く起きてルールを課す。

そんなことさえできれば、いつだって立ち止まる必要がな

なぜ立ち止まる必要があるのかを、立ち止まって考えることなど、滑稽な自分だからだ。