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>>> 「著作物」にあたるといえるには、“思想又は感情”を“創作的”に“表現”したものでなければならないということであり、小説・漫画や映画、イラスト、ゲームなどにおける、アニメのキャラクター設定等、それ自体はアイデアに過ぎない場合には、思想又は感情が”表現”されたものではないため、著作物として保護されていません。
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>>> “創作的”とは、捉え方が非常に難しい言葉に感じられるかもしれませんが、著作者の何らかの個性が感じられる部分があることを意味します。
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>>> 知財高裁も、『マナー知らず大学教授、マナー本海賊版作り販売』、『A・Bさん、赤倉おんせんでアツアツの足湯体験』といったニュース記事の見出しは他の表現が想定できず、平凡でありふれたものであることから、創作性がなく、「著作物」に該当しないとの判断をしています。
これ、かなり考えていて、やっぱり人が頑張って考えた文章や画像や、サイトって
それなりに協力したいし、できるだけPVを加速させてあげたいし
PVしてほしくないようなものもあるだろうから、それでもイノベーター層には知ってほしいな
とかを毎回考えながら、リンクしている、なんなら毎回している
単純に尊重したいし、面白いものはしっかり面白いところに広まってほしいし
だから毎回「引用」的につけるようにしている。
インターネットリテラシーって大事だけど、それだけじゃなくて
この人はどんな想いを持ってこの記事を書いているのだろうとか
どういうシチュエーションでこう発信しているのだろう、写真を投稿しているのだろう
今はどう思っているのだろうとかを考える。
現実世界の思いやりと同じように、リツイートや話題に上げるのを考える
ことが、結局インターネットリテラシーだろうし、
インターネットリテラシーってつまりは、現実世界での気遣いとか、視野の広さを
インターネットでも同じように持つだけなんだと思う
それがないがしろになると、敵対視するし
例えば友達が急に家に忍び込んできてドッキリされたり
許可なく物を借りるのが日常的でも
ちょっと喧嘩している時期だったら、不法侵入とか、窃盗だよとか
言えるわけで
それがインターネットだけ公衆の舞台で、そのプロセスや結果状態の切り抜きを
すごく多くの人が見ることができるから、広く見られるけれど
やっていること、考えると良いことは同じだよなあと思う
俺は、ガンガン複製したり、ガンガン二次創作したり、したほうが豊かになるだろうし
そういう奴らがいても面白いし
だけど法律が言いたいことって、ガンガン複製して大丈夫な仕組みだから
相手が傷ついても、やめてって言っても、歩み寄ってきても
法律でセーフだから無視して続ける嫌なやつみたいな感じだと思う
嫌なやつってまあ世間にたまに出てきるけど、あの思想は結局法律的な
○か×に縛られていて、もったいないというか寂しいなと思う。
あくまでそういうリスクの捉え方ではなくて、ベースパッケージから
お互いに協議の上アレンジしていく、コミュニケーションの利用規約みたいなものなんだろうな