現代アートと、同人作家のちがいはどこにあるのだろうか。商売だからだめなのか、尊敬がないからだめなのか、

岡田さん風に言うと「ありがたがるのは間違ってる」という品説でいると良いと。村上隆さんはアートの定義とは「芸術大学を出ていること」だ。と
「そしてできれば論文を書いていること」という。

アートというのは美しいものや良いものだという。複製技術がなく美しいものが多くなかった時代に芸術や美しい絵に価値があった。しかし、写真が出てきて美しいものを誰でも写せるようになった。印象派がでてきた。「目に見えて感じているものが美しいんだ」というムーブメントが起きた。しかし「現代アート」とは「説明可能なもの」であり投資の対象としても出てきた。つまり、芸術としての価値はないというのが真実なのではないかと。現代アートの「影」である1億で買ったら来年3億になるような投機対象になるもので、「光」は時代によってこれしか生まれないものだが、そんなものなどはないと。

アートは「保存をして名前をつけなきゃいけない」という概念となっている。村上隆は日本にある商業アートの合わせ技で成立していてそれ以上でもそれ以下でもないと。

大きいテーマを扱わないとアートとして機能しなくなってきたと。岡田斗司夫的には「アートは既に終わったものだ」と。

聞いた中で、パロディーや二次創作としう「許された突破口」が見つかったことに価値が見出されたというテーゼが一番納得の言った部分だった。「これはアートです」と言える、また利用できるということに価値がある(おもしろい状況になる)と。コミケのほうが体張ってやっているからよりアートの実態を伴っているのではないかというのも納得。

ゲルニカで戦争をアートにされた歴史の何番煎じでもあるチェルノブイリ原子力発電所のダークツーリズム事業。ここを力技でマーケティングしているもの。

それを躍起になって無茶してやる意義はあるのだろうかという、人間性の脳筋暴力のような感性は、たしかにどこか寂しさを感じる。

岡田斗司夫さんと、東浩紀さんお二人とも大好きなので素敵な動画だ。素敵な世界。