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>>> ぼくは、メディアに出ること自体にはそんなにメリットを感じていないんですけど、番組のゲストとしてお呼びして、面白い人やこちらに情報をインプットさせてもらえる人に会える、という意味ではメリットを感じています。

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>>> 何かを知りたいと思ったときに、その分野の本を買ってきて読むより、その業界の人と友達になったほうが早い。どんなに詳しいビジネス書を読んでも、当事者である経営者や起業家からの「耳学問」にはかないません。本人に質問もできますから。

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>>> 人間、たくさん情報を浴びておけば、案外、覚えていると思うんです。上質な知識が、頭の中に肩ひじ張らない状態で入っていることが一番重要だと思うので、浴びるように頭に放り込んでおいて、ことあるごとに思い出していく。

人間だれしも経験している事象が同じでも、感じたことやそこにたどり着くまでの努力と努力の方向性が違うからこそ、

その人自身と生でキャッチボールをすることが複雑性が高いということまで含んだ物言いなんだと思い、腑に落ちる。

その人の言葉遣い、その人の考え方の知見のなかにこちらが検討できるアイデアやトリックが詰まっていて、それをすべてフレームワークとして無機質に摘んでいこうとしてもそれはいみがなくて

要するに、インプットのやり方に正解はなくて、日々無造作にありえないだけの数をストックし、それらを思い出したいタイミングで思い出す訓練を強化しておくことの方がよっぽど重要で

思い出すために生身の人から聞いた方が、感情とともに引き出しが開きやすいなと俺は思った。

記憶の中の知見に付箋をはるように、付箋がわりにどんな感情をしたかとか、どんな言い方で語られて指摘されていたとか

そんなこともセットアップした上で保存しておいた方が検索する時も楽だし、何よりじゃあ本を読んでみようとならずに、じゃあ会いに行ってみようとなることの副産物も多そうな気がする

物事を全く別の方向から考えた時に現れる副産物や新鮮な思考パターンがきたときにすぐにアレンジできる能力、過去の知見と掛け合わせて高次元に持っていく能力というのは凄まじく重要なのだなと思うし

これを達成するには圧倒的にコミュニケーションというか、自分のことを正確に伝えながら、相手のことを正確に把握する力が必要なのだから、やっぱりたくさん話せるという力(プレゼン)はつけないとダメだし、つけるには話しまくるしかないよなと思うなうだった。

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>>> 「東洋的美的感覚とテクノロジーによる西洋人間性の超克、1人称3人称の相転移、輪廻転生と無為自然、生物進化と計算機知能といった技術哲学的なテーマを俯瞰しながら、計算機自然による事事無碍な自然美を示すことを目指した」という本展。何やら難しそうな印象だが、その思想に形を与えられた作品を見ることで、理解は深まることだろう。

この文体で宣伝できる技術というのがまさにもうそれ。