人が存在するために物があるということがまた、こういったジャンルのインテリアであって、このインテリアは威厳を保つためにあるわけではなくって、スタバでコーヒーを飲んだり、ドライブに行くとテンションがあがるように、人が自信や誇りを保っていくための整然さを感じる

湘南のようだねえ。佇まいを軸にしたこの感じ。この暮らしへのイケてるかどうかの感度って、住むということの理性を保つように意味してくれる。

これだけ整然とした家具があるなら、むしろ俺はこんな食事を、生活リズムを、人間関係を、音楽の乗り方をしなければならないと、日本人ならではかもしれない物体に対する父性をどこか持てる

カッコいいことへのこだわりがとても真っ当だ。こういう家、なぜか住みたくなる不思議。

こういうインテリアは、ミニマリズムと共存できる感覚がある。とても面白い。情報や利便性、節約性、とかではないんだろうね。例えばミニマリストの家でも、座禅はしたいし、アロマは焚きたいし、外に満月が見えていたらとてつもなくエモいし、佇まいがかっこいい人が家にくれば気は引き締まる。

湘南感のある特殊なインテリアに内包する物体としての父性 これもインテリアとして楽しめるライフスタイルを誰もが取り入れる社会になれば素敵だなあ