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>>> 2021年6月号の緒方恵美インタビューの中で、庵野秀明監督の「俺はもうゲンドウになってしまった」という言葉が紹介されているが
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>>> テーゼとアンチテーゼが拮抗し、その二つを止揚したジン・テーゼが生まれる弁証法のように、残酷な天使のテーゼにはひとつの結末が与えられたわけだ。
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>>> 宮崎駿は「庵野の最大の取り柄は正直に作る所だ」と語る。
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>>> 優れたテーゼに対しては、できるだけ多くの答えが返されるべき
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>>> いつか綾波やアスカのために語られる未来の物語があるとしたら、それはもしかしたら碇シンジに対しても、あの理想の彼女みたいなマリを引き連れて人生の階段を駆け上がって行った神木隆之介のシンちゃんとは別の答えを見つけるのかもしれない、と思う。
一つの優れたテーゼ、問いかけに対しては、きっとできるだけ多くの答えが返されるべきなのだ。なにしろ少年が神話になった後で少女が何になるのかという残酷な天使のアンチテーゼについて、本当によく知っているのは僕たちではなくて、林原めぐみや宮村優子たちの側なわけだし。
どうにもバイアスで文春オンラインだから、
陰謀論ちっくなこの20台前半男性オタク、30台後半童貞に
受けるようなこの書き方、違和感はあるんだけども
なかなかクリティカルなアイデアだと思った。
やっぱ、いろんなメディアを並行輸入しないとダメだね
エヴァは庵野さんのエゴイズムであり、
庵野さんは男性だから、碇シンジもゲンドウも
男の子として描かれているし、
庵野監督が神話になるという有言実行した
人生のストーリーと比較して
林原めぐみさんや坂本真綾さん(マリの声優さん)が
少なからずエヴァで人生の性格を変えられたであろうけれど
逆にエヴァで表現して、マリやアスカが変わったなんて解釈も
あるだろうけども
彼女たちのサクセスストーリーが語られることはあまりない。
あくまでエヴァありきのストーリーと余韻で
彼らのエゴありきでのエヴァに投影してどうなったかというテーゼは
みたことがあまりない。
なんとなく、自分が男性だからでもあるし
庵野さんが男性だからでもあるけれども
女性に求められる「懐」や「擁」を感じました。
哲学することがなにか実益をもたらすことはないかも
しれないけれども
哲学することで変わった性格が
大きな影響を生むことはとても多いと思う。