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>>> ある男が沼の側を散歩していました。すると突然のゲリラ豪雨!男の脳天に雷が落ち、不運なことに一瞬にして焼け焦げて絶命してしまいました。その時、2発目の雷が沼に落ち、沼の成分が化学反応を起こして死んだはずの男の体を再構成してしまいました。

 再構成された男の体は、雷に打たれて絶命した男の体と原子レベルで全く同一で、脳の状態すら(雷に打たれる前の)元の男と同じ状態で構築されています。着ていた服や差し歯や手術痕までもです。

 そして雷によって沼から生まれた沼男(スワンプマン)はそのまま死んだはずの男の家に帰り、死んだはずの男が読んでいた本の続きを読み、死んだはずの男のベッドで眠り、翌朝には死んだはずの男の仕事場へ出勤します。

 はたして沼男(スワンプマン)は雷に打たれて死んでしまった男と同一なのでしょうか。

これのめっちゃわかりやすいのが下
厨二病の俺はみて、なんて世界は広いんだ!(哲学的に無限なんだ!)と感動して没頭した覚えがあります。あれは小6くらいだったか

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>>> 彼らに『ほんとうの彼らのココロ』があるかどうかなんて、最初から、キミにとっては、どうでも良いことだったんじゃないか?
 そして、それは、他人の側、社会の側からすれば、まったく同様のことさ。キミに、ほんとうのキミのココロがあるかどうかなんて、キミ以外にはまったく関係のない、どーでもいいことなんだ!

飲茶さんは思考実験なんてメタ的なコンテンツを題していますが、これは「道徳」なのではないか。言葉通りの徳を積むうちの一つ

なぜなら普段生活している3分の1は寝ているにも関わらず、寝ている間のことを考えることはないし

歴史は数万年とあるのに、自分が生きてる100年くらいのことしか考えないし

自分は社会のなかで生きていると思っているけれど、それすらも本来は自由意志であるということとか

こういう本質の道理を勉強する機会を与えることはとっても大切で、いわゆる「死んだ後あなたはどうなるのか?」を考えられる時間が思春期にあえると強い人間性を兼ね備えるかもしれない