日本のネット文化のなかに、「嫌なら見るな」という格言があるんですが、自分が関係ない立場のときは、多用するのに、いざ自分ごとになってみると「嫌なら見るな」「嫌なら使うな」という格言を、使う人はいなくなってしまいます。

自分が関係ない時だけ使いたい格言というのが、日本には多いもので、そもそもこれは、日本人が「他人と同じであること」を求める民族だからだと思っています。だからどうしても、世間がなんでもない時は「正論」が通り、世間が盛り上がっているときは「楽しさ」が通り、世間がトラブルに巻き込まれているときは「感情」が通ります。paypalのトラブルは、本当にpaypalを登録している庶民が多いという証拠になったと思います。みんな、嫌だったというよりは、自分をトラブルに巻き込んでくれたおかげで、絶対に自分の目の前に現れない「世界の企業」を相手に愚痴を言える権利を、無料でもらったのです。

もちろん、僕も口座からお金がいちじてきに0円になった訳ですが、結構マジでどうでもいいなと思いまして…ゆうちょ銀行のトラブルの時もそうだけど、必ずしも、取引というものは、こう約束しているから絶対ではないということです。それを柔軟にできる人はとても少ないな、これって、例えば総理大臣が死にましたってなったら、今やってる業務をちょっと止めたって、なんら不利にはならないはずですし、お腹が痛くてトイレに行くのと、彼女にプロポーズするから会社を休むのは、結果として同じことをしているわけだし、そうしてしまう人間まで見据えた仕組みを作っている方が健全だと思うのです。

6月は梅雨が多いから、なるべく電車に乗らなくていいようにするとか。冬は寒いから家で完結するようにするとか、ライフハックを個々人で見れば、みんなやってるはずなのに、どうして働きかたという形式になると、そこが重いんだろうな。不思議な文化だなと思います。

別にpaypalが使えなくなったって、どうせ使ってない人なんだからいいじゃない。

別にゆうちょ銀行が止まったって、どうせゆうちょ銀行使うんだからいいじゃない。

そもそも、そのサービスが全くなかったら、あなたが今それをできていないんだよ。
原点思考から物事の価値をつけたり、予測して投資したり、反芻できる人って、すごく少ないし、そこを教育することは宗教を除いてなかなか難しいなと思います。

paypalが止まっちゃったんで、今月の給料はなくしておきますね。その代わり、もしあと1万円足りないという休日のデートがあったら、ラインぺいで送金するのだから、【 全く問題ない 】よね。という文化軸を作って生活することが、どれだけリラックスにつながるかを考える良い機会になんて、なるわけないけど、なってほしいです。