包容力、ここにいていい感なんじゃないかな
ビジネスの話になると、そんなことも知らないの?という顔をする人は多い
なぜなら自分が頑張ったことを認められたいからだ
だが、本当に優秀なビジネスマンというのは本質で会話をする
本質に教養は不要。あったら便利だけどなくてもいい
本質というのがうまく機能するときは、ブルーオーシャンを探すときだ。
誰もやろうとしないものの価値に気付いていれば独占できる可能性がある
しかしながら、ここに共通言語が入ると途端に理解の乏しい人たちが入ってくる
そして、共通言語を知っていることがその市場に参入できるかのような障壁を相場が作ってしまう
本来マジョリティ化というのは参入のハードルを下げる検討が必要だが
共通言語というのは、とてもじゃないがマジョリティ化ではない
外に向かず、囲う側に向いてしまう
これは、プラットフォーム戦略のような、新規流入を増やし続ける戦略とは違い
既存の取り合いにしかならない
囲う対象が、全く知らないお客さんではないと、競争原理が悪い方に働く。
だったら、共通言語というのは得てして魔法のような加速装置でも、教育アイテムでもなく
親密なチームから理解を得るための潤滑油としてのみ使用し、
スクリーニングや、人を判断する基準として測るのは全くして違うと
思い続けることは有益かもしれない。
そんなことも知らないの?と言われそうだから、言えない
という空気感を漂わせないことは、すごく基礎的なことなのでしょう。