生と死の<弁証法>と<内在的終末論>への願望
from東京大学大学院教育学研究科 基礎教育学研究室 2016年7月 研究室紀要 第42号 より転載
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>>> 空海は、 死が精 霊、鬼神 のしわざ と 考えていたとしても、それらを放逐し たり、 征服した りし て、 死より免れようと はして いな い。 あくまでも仏教 の説く オー ソド ックスな手法 である無常を悟る こと によ って、死を 超える ことを求めた のである
夜に駆ける https://monogatary.com/episode/33827 を起点に、「死を迎える」という解釈への理解の裾は広がったと思います
僕がつくりたい世界観というか、最終到達地点の言語化は「ThanatosGames(死をも楽しむ)」であって、それとなく荘厳なものが伝わった方がいいのは会社の意義ってそういうもんだと思っているからで
もっと日頃に漂わせたいのは、どんなことでも高校2年生の夏休みのように、なぜか永遠に終わらないこの世界を素朴に楽しむことです
なんかそれを体現してくれた大人っていないのかなあ YOASOBIみたいなミーハーにわかりやすい解釈がある一方で、論理整合性に近い人がいればいいなあと思い、インターネットの大海原を漁っていたところ、見つけました「空海」
しかも日本人! 超やりやすい!!!←
ということで、宮代は空海を推していこうと思います。
てか、空と海って名前カッコ良すぎるでしょ
もっと論理的な文も掘り出して引っ張ってみたので、本質が好きな人はぜひみてね