ラーニングピラミッドの副作用についてちょっと書いてみよう

さっき歯を磨いてる時になんとなく思ったことで、やっぱり無能な人ほど自分が無能なことに気付いてないなと思い、これを書いている

自分が世間とは違う特殊な考え方、ライフスタイルをしていて、どこか世間の大多数よりも優っていて、社会をコントロールできていると思っている人は、たぶん、ラーニングピラミッドの学習が足りない

自分が優秀だと思っている人の特徴として、職業別の平均年収とか、同業内での土俵で戦わないイメージがある。すべての分野で同じ土俵で戦うことから逃げて、マルチプレイヤーとして一線を画しているような考え方だ

優秀かどうか、それは絶対評価であれば気のもちようだったり、満点だったり、USPがあったりだろうが、相対評価であれば周りにいる者たちより大体の物事において優っている必要がある。パラメーターで完全上位互換と言われるタイプにならないといけない

だが、優秀だと思っている人(特に、自分を経営者に近い起業家だと思っている人にすごく多い)は、だいたい1,2個ちょっと個性的な特徴があるくらいで、基礎的な能力値や成長率はむしろ低かったりする

高校生まで成績が良かったけど、大学で主席にはなれないタイプの人間で、1000人中1位って高校生のころのソーシャルグラフからすると如何にも荘厳だが、社会的にみると1000人中1位の人材なんてそこらじゅうに転がっている 
平均より上であって、この平均というのはテレビを毎日見ているレイトマジョリティ層にあたる

原因が何かなと考えたのだけど

例えば俺は仕事でラーニングピラミッドという考え方を用いて私立文系大学生を教育することが多々ある

この人に教えることに重要性を説いて、誰もが小僧の精神に基づくことにより、先生が安定供給され風通しがいい文化風土になっているのだが、なかなか勘違いが多い

ラーニングピラミッドは本来、自分の学習効率を高めるためのものなはずで、「恐れ多いですが、私がもっと強くなるために、擬似的に私が先生になってあなたが学ぶという構図のために、時間をとってもよろしいでしょうか」あたりが基本なのにも関わらず

知っている俺 知らないお前 知らないお前に”こんなに”教えて”あげてやるよ”みたいな潜在的な欲求が高まっている人が多い

これがギミックとなり、自分は優秀で、存在価値のある人間で、話を聞いてくれる人もたくさんいると妄想してしまうのだけど、そんな簡単に仕事は手に入るモノじゃない

世間でも、この「教えてあげる」における病は蔓延しているだろう。この考え方を改めるために、ラーニングピラミッドという考え方を丁寧に認識するとよさそうだ

つまりは、自分のために勉強していて、人様の力をお借りしているわけで、常に主体や視点は自分が学習し、新たな人格に出会い、より良い未来想像ができるというところであったほうがすこぶる気持ちがいい

であるのだから、本来学習体系として望ましいのは、ほとんど自分の理解が及んでおらず自信がないことを、人前でプレゼンしたり、今の自分と同等程度の理解力しかない人に教えなければいけない期限がいつも迫っていて、食らいつくように必死にインプットすること

こういう出来事が、たまにあると、また自分の土俵じゃないと言い出したり、どこか排他的な観念を押し付け断ってしまうが、そうではない

常に目の前の存在価値に見出すのではなく、学習するモチベーションから流れてきた学習マインドで主体的に機会獲得に励んでいくこと

それがとてつもなく重要だと思った

また、起業家というキャラクターが意味をなすのは、どちらかというとシリコンバレーやスタートアップ界隈における、文化風土が圧力をかけるあの独特の世界観のことであって、多分知り合いに10も20も触れて、パターン化してないとわからないだろうが、あのマジで独特の感じ まさに起業家マインド それこそに価値があり、あれこそが起業家たるアイデンティティで評価すべきポイントだと思い、

そうでなく相対評価で見るならば、起業家とは”業者として起き上がる”なのだから、もっと基礎的に

・自分が主体となり、ソーシャルグッドなサービスを事業母体としてのスキームで開始し、運営できているか

・停滞期間も含めて、常に自分作の業が世間でうごめいており、なにかしら起き続けている。立ち上がっていないいわば下火の状態で落ち着いているものばかりではない、いつも新鮮な業が立ち上がり、ピボットを繰り返し、屍となった無数のサービスやアイデアの連鎖により、事業が経営母体としてまでの形を織りなしていく

ことあたりが、起業家らしき人材であり、そうでないものは起業家には値しないだろう。巷のオンラインサロンや起業塾における意識が高い活動を共にするコミュニティや、ビジネスやお金稼ぎに関心があり、それを安定、向上させようと試みることは、なんら起業家の本質とは関連性がない。

また、会計やファイナンス、サラリーマン経営が指し示すビジネスマンの態度も、起業家とは関係がないだろう

起業家人材におけるマインドは、心の核心から「社会を自分の力でもっと良くしたい」と思っており「行動原理を認識したり、獲得したり、誰かのためになっているかを自分の中で疑ったりする余地がない(そんなことを考えたことがないというアレ)」ような人材で、やはり、ビジネスに関心がある一般的な人間とは前提性格が違うように思える

これは肌感だが、ビジネスが好きな人間は経営や起業を志すことを夢見るが、どこかファイナンス的というか、お金における安定を望んでいるように思える

俺が思うに、そもそも、経営や起業に関するモチベーションは、経済的な条件は関係ない(金があろうが、なかろうが、クソどうでもいいから、さっさと起業させてくれ)

そんな感じで、どこかチクリと刺されば嬉しい