ポジショントークの鉄板に、ダブスタというものがある。
これは条件に応じ、同じテーマに対して矛盾した基準を主張することだ。

一応説明すると、

何らかの基準(ルール・スタンダード)を他人に主張した場合、それは基準の押し付けとして他者に影響を及ぼすため、その基準はあくまで公平性を持つ必要が倫理面で現れるので、つまりは、その基準はどんな時でも公平に汎用されなければならないという まあ、日常会話でも使うようなものだ。

「ああ言ってたのに、こう言ってるのはおかしくないですか」と矛盾してはならないという事。

しかしこれを、意図して戦略的に実行している者がいる場合、そのダブスタを崩すことはほぼ不可能ということを覚えておいて欲しい。

例えば部下にはグチグチ言っていたのに、上司にはペコペコする、とか
付き合うならどんな男性?と聞かれ、身長が高い人と言っていたのに、身長が低い人と付き合うなど

身近な例でも無限にある。これは人間が常に状況の利害を考え、発言しているからだ。

感情によるものが起因している場合、説得や毅然とした会話により、相手が態度を正常にしたり、反省をする余地はあるが、

これが利害や戦略による場合、ほとんどの場合、ダブスタ使用者もしくは公共に対し、かなりのコスト(主に社会的にダブスタを開示する、その根拠となる発言爪痕を集める)をかけなければ、その矛盾したスタンダードは崩すことができないのだ。

そして、ほとんどの場合、「あの人はダブスタだよ」と認識させることも難しい。
なぜなら、それが明快に暴かれぬよう既に使用者は考えているからだ。

当たり前の話のようだが、これを平気でやる人が世の中には多い。
そして、矛盾を倒すためのコストの高さに力尽き、大体は泣き寝入り、というパターンだ。

「あの人には◯◯と言っていたのに、わたしには◯◯と言っていたよ」正当性が示せなかった経験は多いだろう。いわゆる理不尽な源。

ゲーム理論のようで、これを攻略するには状況に応じてこちらもダブルスタンダートを多少用いる必要がある、というのが悲しい論理である。

常に相手がダブルスタンダードをどのような条件下で適応し、乱用してくるのか見定める力こそが、有耶無耶にされない一番の対策と言えよう。