また、その人かよって思われるかもしれないのだけど、そうなんです。成田先生なんですよ。
動画は短いし、普段ほとんどの人がクソどうでもいいと思えるような「構造」の話を、別に勉強させて気持ち良くしてあげる気もないほどに真理的なことを言っているのだけど、まあ、短いから記憶の片隅くらいに入れておくと面白いかもしれなくて、
なんか、最近、文化人というかYoutuberというか、お金を稼いでる人というあたりのシーンが「お金で買えることは知っているけれど、自分は買えないもの、想像できないもの」を見せびらかすことの価値から
「普通ではない考え方をもってかつ、お金やプレゼンスキルも最低限資格のように持っている。から、界隈で求められるし、物も変える。」そんな人の信用スコアが爆上げしている感覚がある
いうなれば「時間を安定的に捻出できている人」だと思っていて、さらに面白いなと思うのが、デジタルの並行輸入人間関係のメディアマーケティングによって、今までは、
「困ったときにすぐ動ける」系の時間稼いでる人間、つまりは愛のある人、思いやりができる人 偽善でもやれる人が求められていたけれど今はちょっと先にいて
「この人は多分死ぬまでこんな感じで(たまにしか会わなくても)安心」系の時間稼いでる人間のほうが、信用稼いでるし、楽しそうに生きてるなと思えてきた。
つまりは、具体的にこういうこと出来ますよって、責任持ったりリスク履いて動ける素養がある人よりも
とりあえずみんなが求めている「こういう感じの界隈」に常にいて、オールマイティだから、こういう塩梅のことは、あいつに任せとけば、ちょっとはプラスになる
って人のほうがモテている気がする。これは日本の霞ヶ関曼荼羅にも近いものがあると思っていて、
ポピュリズムは、とやかく言いつつ、これを求めているんだなと思う
こういうポンチ絵に安心してしまうし、実際、こういうことをしてくれる人についていこうとなる。
自分がわからないことを、わかってくれたり、わからないことがあっても、結果的に大丈夫な運びに、コミュニケーションを通してやってくれる人
私のことをわかったふうで考えたり実際に会えたり、いろいろな話を教えてれる人 しかも自分までもわかったふうになってこれてしまう人
それがすげえモテてきた時代だと思う。 ちょっと古いところから辿れば、質問箱とか、ストレングスファインダーみたいなやつ、全部そうだと思った。日本人は占いや悟りが大好き。日本人は遠くから眺めてるのが大好き。
だったら、渋谷ハチ公前でナンパしてる人たちというのは、日本の恥と語られるのは、本当に恥部であって、本質的に大切な機能を兼ね備えているんだけど、
なぜか恥ずかしくて、隠さないといけない気がして、嘘が嘘を作るように、1隠したせいでどんどん隠すものが増えていってる。
最近Youtuberランキングどうこうで大人はやれやれと思っているかもしれないが、本来は2021年を風靡した「コムドット」を評価するべきなのではないだろうか?
コムドットさんを、嘲笑っている人々は、遠くから見ていたいだけだったり、悟るのが大好きだったり、分析されたポンチ絵を、知性ありげに教えてもらえるだけで、お金を払えるくらい、満足してしまっているのではないだろうか?
日本の恥だと思われている人たちは、日本がこれまで
隠し続けてきたけど、昔は持っていた機能であって、それは島国から海外にでていくために必要な要素であって、
霞ヶ関曼荼羅と、コムドットと、ひろゆき切り抜きのコラボできる永久機関が作られた時に、日本は中国を「文化資本」で超えてくれるのかもしれない。
「普通ではない考え方をもってかつ、お金やプレゼンスキルも最低限資格のように持っている。から、界隈で求められるし、物も変える。」
この普通とは、自分にとってなんなのか
お金とは、自分にとってなんなのか
日本をプレゼンするなら、どうして今自分が日本にいるのかをプレゼンするなら、どのようにそれは一生語っていけるだけの自己紹介になるのだろうか、どの界隈に投げかけるのが一番自分の中で日本的なのだろうか
そういうことを考え続ける時間が無限にあるということが、一番幸せな人生!!さいこ〜=!!