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>>>>差別用語の言い換え – 差別糾弾を表面的に回避する手段の一つとして商業メディアでは差別用語の言い換えが行われており、アメリカ合衆国においてポリティカル・コレクトネスと呼ばれ発展してきた。日本においては、差別用語の一部もしくは全部の言い換えに反対する人々から、この差別用語の言い換えを、言葉狩りや文化破壊として批判されている。また、差別に反対する側からも「単なる言い換えでは、現実を覆い隠すのみ」とした批判がある。
やむを得ず「差別用語(放送禁止用語)と同じ発音」の言葉を使用する場合、当該の差別用語を連想させないよう、別の言葉に言い換えられることもある[要出典]。
例 – 「米軍基地や軍事施設などの敷地外」は字義的に「基地外」となるが、「きちがい(キチガイ・気違い)」(1975年以降)の連想を避けるよう「基地の外」(きちのそと)と言い換えられる。[2]。

俺言葉の定義ってすげえ考えるようにしてて、

自分のなかで美しいと思う組み合わせとか、文脈から滲み出る佇まいもそうだし、

相手が恐らくあのイベントで知っただろう、このルーツで解釈しているだろう言葉にあわせて、汎用していったり、それ自体を疑問視させる言い回しとして意図的に使ったり

ふざけんな とか

殺す とか

カッコいい とか

モテる とか

遊ぶ とか

うまい とか

そういう部分を考えるのが好きなんだけど

そういう部分を要素分解したプレゼンをするときに必ずといって良いほど

関わりのある人が触れる琴線を目の当たりにしなければならない

俺にとって、キチガイってのはすげえ良い言葉だし、

そもそも障害を持っている ということや

うつ病 という言葉の運用方法は、皆さんものすごく下手だと

とても自負をもっている。

高校生の「それびょーき」でしかないし

しゃしゃってんじゃねえよ とかは

お騒がせして申し訳ありません より流行らなければ

生きてる価値がないんじゃないかとか

思ってしまう。

だから、大衆向けに産業を作っていくものは

自分の文化を繁栄させていく選択肢を半殺しにあっているわけだけども

半殺しにあっているということが知られていないなかで

半殺しにあっているというのは

完全犯罪だと思うから、俺は告発していきたいなと思っている

気付けば

【コロナ】って言葉を使わないルールから1年半くらい経っているし

仕事に繋がることでは、相手に言われるまで絶対にマスクをつけないことにしているし

そういう地道なところが、知られていかないのが

ブロマガで届けたい。 想いの部分。

読み書き能力が低い。

これは日本人教育課程、社会人経験値取得課程のなかでも

非常に深刻な問題であって

これこそキチガイだ。

キチガイすぎる教育者しかいないし

基地のそとと表すというのも

名目上ではない好奇心から

基準の地点からそと という意味で

キチガイも使われていくべきだと思うし(カリスマという意味合いだけど、嫉妬の含んだカリスマでは表現できない、良い意味だ変だよねの上位互換やわ)

放送禁止用語なんて、ドングリの背比べみたいな仕組みつくっても、

比較生産的なアウフヘーベンしか起こらないよなあ

言葉がケチ。って感じだわさ。