>>>
>>> カナルタ―螺旋状の夢― 上映時間120分

セバスティアンとパストーラは、エクアドル南部アマゾン熱帯雨林に住むシュアール族。かつて首狩り族として恐れられたシュアール族は、スペインによる植民地化後も武力征服されたことがない民族として知られる。口噛み酒を飲み交わしながら日々森に分け入り、生活の糧を得る一方で、彼らはアヤワスカをはじめとする覚醒植物がもたらす「ヴィジョン」や、自ら発見した薬草によって、柔軟に世界を把握していく。変化し続ける森との関係の中で、自己の存在を新たに紡ぎだしながら。しかし、ある日彼らに試練が訪れる…。映像人類学の世界的拠点、英国マンチェスター大学出身の気鋭監督が放つ渾身作が、特異な表現で新境地を切り開く。
2020年/120分

これを本日見てきたのですが、めっちゃよかったです。
最近、アヤワスカセレモニーを富士山でやってるとの情報を友人づてに耳にしたり、なにやら縁があるアヤワスカ。これまたアーティストの友人が大阪でライブしにきているついでに、行ってきました。

シュアール族の詳細

エクアドル南東部のアマゾン盆地 ペルーとの国境に存在する彼ら、国道から6時間ほど歩いた先の森の中で集落が存在する。彼らシュアール族はそこに住んでいる。

シュアール族のシャーマンはとてもリーダーシップのある人間性を備えていた。チチャという口で噛み潰し糖分を引き立てた液体をいわば報酬として皆に分け与え、労働を仕切り、自らも四六時中働く。シャーマン文化のなかで生きる彼らにとってのシャーマンはリーダーであり、ドクターであり、ビジネスマンであり、お父さんなのだと思った。

そんなシャーマンの一人セバスティアンにスポットを向け、ドキュメンタリー監督の太田さんが、1年間住み込み、人間的な関係性を築きながら、生活や文化形態の奥底をリアルに表現する。

( この太田さんがまたパリ郊外に住んだ経験や、共同通信パリ支局で働いていたり、マンチェスター大学人類学の博士課程を進みながら卒業課題として進めたなど、とっても自分と縁のありそうな方なのだが、これに関しては自分自身まだ行けないので割愛。)

こういうアマゾン民族のドキュメンタリーを見て刺激をもらうのはもちろん、相反する感覚を抱いた。それは非効率性への認識だ。事実僕も非効率なものはマイナスなイメージが大きい。それは加速度的に未来思考を進める上で、最もわかりやすい敵として捉えることが、「成長」に好都合だからだろう。

例えばチチャの作り方からしても、もちろん伝統的な文脈を備えた食事は、その尊重から迎合まで楽しさや溶け合う気概も家庭的な幸福や使命感に導くだろうが、やはり経口過程を通した調理は雑菌や性病など感染症のリスクが否定できないし、そんな危険性を上回る様々な意味での効率性があると考えるには感性が乏しかった。

観光客として、感性を豊かにするコンテンツとしての愉しみ方はもちろんのこと、こと当事者として”ここで、暮らす。”という仮説でイメージするときに、その非効率性に拒否感を覚えることそのものの是非ではなく、直感が嫌悪だと思っているということをメタ的に認識すると、とても自分が客観視できていくし、それは単に知性のピラミッドから見下ろすような比較対象的見方ではなく、絶対的に、結果今の自分が自分(のベストでありナチュラルな人格)であることと、絶対的なシュアール族を見たときに、どこか応用できる場所はないだろうか、なにか面白いと感じる落とし所がどこになるのか、それが多様であることに妄想してみると、たのしかった。

友人のバジャウ族なんかと、同じ作りでシャーマンも家を建てるわけで
タイムリーな話で、作品に出てくる家は、実は2021年3月23日つまり昨日、大雨で半分壊れ、すめない状態になって1から作り直しだったり

見たことのある統計はあれども、やっぱり実装する部分は少ないし、それでも圧倒的に違う方向性から人生に挑む彼らの気概のどこかを、試験的に取り入れる時間感覚を実践してみたり、

属人的に関わりを持つことから生まれる多くの刺激が、自分の中のなにかを除去してくれたり、ラテラルから足してくれたり、

「試す楽しみ」を楽しみはじめることが、面白いなと、まあどんな「作品」でも思いようだが、太田さんのこのカナルタはとても思いやすかった。

南米に行く経験なんてないけれど、富士山ならいつでも行けるし、アヤワスカをやってみるのはとてもいい実験になるなあと思いました。

またそれが、明晰夢やクリエイティビティを高め続ける日常の努力で酷似するようやっていくことも、もう少し厳密にしていってもいいなあと思いました。