このマガジンでは着眼点を「落合陽一さんと西野亮廣さんのあいだ」としているし、僕は

SNSをやめてしまった。それには深い理由があった

「・・・・・・・そうか。

そうだよな。」

ぼくは、ため息をついた。

そもそもこの世界には

圧縮された文章を

展開する、、、、

そう。

展開する「能力」

そんな、当然の”チカラ”を

持っている人が、少ない。

この世界には「2種類の人間」がいる

文字を読めるやつと

文字を・・・・読めないやつだ。

後者の人間にはこうやって

スペースをあけて

まるで、映画のエンドロールみたいに、

ドラマを第1話、、、、第2話、、、、と引き伸ばすように

だらだらと

やらないと

読めない。

これは決して、焦らしているわけではない

このくらいのペースで情報を流さないと

むしろ危険なのだ

情報が弾丸のように降ってきても

ひとつずつ避けることはできない

こうして、ひとつずつ情報が増える

その度に、

バカでもわかる例え話を入れて

わかりやすくしていかないと

誰も、ついてこないのだ。

けれど、こんな馬鹿げたことをやっていると、賢者は急足を求めるし、それこそどこかにいってしまう

マラソンでビリケツにあわせて走ったら、すげえ優しいやつにはなるかもしれないけれど

トップランナーのように世界記録を出すことは絶対にできなくなる

トップランナーの思考をのぞくこともできないし、相手にもされなくなる

あなたがどちらに足並みをあわせたほうが、おもしろいと思うか

文章ひとつ取ってもそう。誰に向けて発信するのかによって、

あなたが選ぶメディアの取捨選択も変わる。

この世界を見たらわかるように、SNSの使い方を求めている人が多いということは

裏を返せば、SNSが下手な奴ばかりだ

それは、普段のLINEでむだに返信を考えてしまうあなたを見てもそうだし

既読がついて10分経って、オッケーしか返ってこないとか

たった1つのスタンプで意図を図ってくるようなクラスターと会話していたら手に取るようにわかる

だったらその10分電話した方が100倍仲良くなれるし、もっと心で会話できる

けど、決断力もないし、自信も無いし、わからないものが怖いから電話が来ても出ない

そういうものだと解釈したなかで、じゃあ自分はどういう存在なのか、意義なのか

僕にとって、既存メディアはクラウドファンディングであって、切り売りをするものだ

つまり、狙った時に「祭り」のように使う

等速直線的に自分のnatureを垂れ流しても、

メディアという変換装置は、なかなかハックできない

(無論、ハッカーは存在している。どんなリテラシーのメディアも独占できる人はいるけれど、あなたが活用法に迷っているなら、あなたは選ばれた人ではなくて、生まれた時から不合格だと思った方が得策だ。)

変換されたものをダウンロードする相手のCPUはぶっ壊れていることが多いし

変換されたもの以外をダウンロードしようとしたりもする

アメブロが流行った時に、2ちゃんねるを見ていた僕は、もうそっちの分類なので、

やっぱりこういう感じでネットしていきたいと思いました

進化する堀江さんの動画、興味深かったです。