世の中では「5」が最強だと言われがちだ。性能や精度の話をすれば、確かにそうだろう。

このFacebookのポストは示唆深かった。

僕は、ほとんどの人に対しては「4o」を推す。4oは質問したときにまず褒めてくれるからだ。

この“褒め”は、人によっては嬉しくてたまらないし、逆にウザいと感じる人もいる。
嬉しい側の人たちは、おそらくChatGPTを「自分を変えてくれる魔法のアイテム」として見ている。
しかし、現状を打破するのに必要なのは、結局のところ“自責のマインド”しかない。
AIが変えてくれるのではなく、自分の思考や行動の責任を自分で引き受けることが、唯一の突破口だ。

そして、ここから先はメタ認知の話になる。
AI時代の人間は、大きく二つのレイヤーに分かれる。
一つは、AIを依存的に使う層。もう一つは、AIと往復的に対話を重ね、思考を深める層だ。
後者は、旅行計画でも企画設計でも、まずAIに投げ、そこに自分の修正や哲学を加え、再びAIに返す。
その“思考の往復運動”こそが、AIと人間の協働を成立させる。

ただ、このレイヤー間にはIQや情報処理能力による差も介在する。
IQ120以上の層は、感覚的理解(インプレッション)の精度が高く、AIに的確な指示(Prompt)を出せる。
一方で、この力を持たない層は、AIの回答を受け取っても活かしきれない。
メタ認知層と非メタ認知層の分断は、これからさらに広がっていくだろう。

AIが人格的になっていく未来(シミュラクラティブ化)は近い。
そのとき、褒めてくれるAIに溺れるのか、褒めを一旦受け止めたうえで自分の責任を果たすのかで、未来は大きく変わる。

AIは救世主ではない。ただの道具だ。
だが、その道具をどう使うかは、僕たちのマインドの在り方次第で、魔法にも毒にもなる。

やっぱり区別できることがすごいなと思う。教育は差別ではなく区別すること。