茅ヶ崎高校62期理事の宮代(本名)です。
ガチ文化祭を立ち上げたのは、紛れもなく高校時代の『ある事件』がきっかけです。

私は茅ヶ崎高校という、湘南にある県立高校に通っていました。ヤンキーギャル校ですが、地元は周りも派手なので普通の学校。帰宅部でした。バイトはデニーズに週2で給料が月5万円。放課後はカラオケ、海、ゲーセン。たまに奮発して横浜や原宿の古着屋巡りをしてました。

先生も生徒も仲が良く、特に3年次のクラスは『最強』で、誰も取り残さずに体育祭でEXILEの『RisingSun』を踊りました。教室の端っこにいる子からよく欠席する子や授業サボる子全員でダンス練をしました。1-2年の時から各クラスに羨ましいと思う要素があって、青春し続けた自慢の高校です。

『ある事件』とは大人の理不尽でした。茅ヶ崎高校の文化祭は『一般開放』で、地域の人や親御さん、他校のやつらが来ます。中庭で集まる『有志ダンス』は1000人が見るコンテンツで盛り上がります。この『有志ダンス』の時間が『チアリーディング体育館パフォーマンス』と毎年被っていました。過去、ミスダンスドリルチーム世界大会・シニアオープン部門で3位、2002年FIFAワールドカップ出演など、かつて最強だった茅高チア部。創始顧問の転勤に伴い、顧問が日本チア協会の教諭にバトンタッチした後でした。文化祭では『(素人の)有志ダンス』のが踊る人数も含め盛り上がります。

その『有志ダンスが中止。』になる事件が起きます。

事の発端は、代表生徒がMTに2回欠席し、「そんな奴が代表の今年は中止だ!」と先生に言われます。代表は習い事がダンスのギャルで不登校気味。有志ダンスは踊りたい生徒が150人いて3ヶ月練習をします。私のチームは体育祭で踊ったEXILE『RisingSun』の精鋭10名で披露予定でした。『有志ダンス中止』が言い渡されたのは、文化祭1週間前の練習中でした。代表は文化祭MTに参加する必要があるので、欠席したギャルは悪いです。

悔しさと違和感がありました。「1人のサボりで無くなるのは最悪だ。でも、どうしてなくなるんだろう?有志ダンスを無くしたい人なんているのか。」先生に聞くとはぐらかされました。このあたりで前述のチア背景を知りました。

私は、当時流行っていたmixiとTwitterで面白おかしな発信をする人間でした。8歳から2ちゃんねるを書き込み、中学では『学校裏サイト』をつくり先生の悪事暴露を目的に運営してました(バレてめっちゃ怒られた)私が思いついた『有志ダンス復活企画』は以下でした

・代表が先生に謝る

・全校生徒の署名集め

・Twitterで拡散(先生の背景を含む)

1つ目をすぐに実行しました。放課後にMTサボったギャルを呼び、ガン詰めしました。ギャルは『ド』が付くヤンキー彼氏がいて、共に怒ってくれました。ギャルは不貞腐れ、先生や有志ダンス生に謝りませんでした。文化祭まで残り5日。私は代表の座を奪い、事情を周りに共有し、ほかの作戦を実行しました。署名活動と拡散です。先生から『有志ダンスの最終決定会議(望みほぼ0)』に呼ばれている前夜でした。

朝4時に起き、「文化祭の有志ダンスをやりたいです。私たちにできることならなんでもします。私たちが生徒ですよ!」という旨の署名紙を100枚印刷し、Twitterで「有志ダンスがある事情で無くなります。生徒のための文化祭なのに。」とつぶやきました。反応は多く、他校のやつが「茅高、大丈夫なん?」と噂を始めました。印刷と連絡が終わり、朝のHR前チームメンバーに計画を伝え、手分けして1.2年生のクラスへ10分休みに周りました。時間が足りませんでしたが、お願いしたほとんどの生徒は書いてくれ、30分で全校生徒1000名中400名が集まりました。昼休みが来ました。

「有志ダンスは、変わらず中止です。」
仲の良い若い先生が厳しい表情で言いました。終わり際「これを。」と私は署名紙を渡しました。有志ダンスリーダーの1-3年生がまわりに10人いました。

「参考にします。」先生はパッと紙を取り職員室に戻りました。職員室にいた友達にそのあと聞きました。「署名紙は、ほかの先生がすぐシュレッダーにかけてたよ。」と。

担任に「明日、話があるから会議に来て。」と言われました。翌日、有志ダンスに関わる50人くらいが急きょ集められました。仲の良い若い先生から「署名とSNSを辞めろ。これ以上続けるなら、オマエのせいで今後、1-2年生の来年以降も、有志ダンスを一生この学校から無くす」そう告げられ、私は先生と50人の生徒にその場で謝罪し頭を下げました。「先生に闇がある」旨のツイートを消しました。悔しすぎて、涙も出ませんでした。

会議が終わり、1年生が私の元に30人以上が集まってきました。「申し訳ないな」と思っていたら1年生のみんなが泣きながら「先輩本当にありがとうございます。先輩たち文化祭今年最後なのに何もできなくてごめんなさい。」と言われました。心から泣きたくなりました。

放課後、学校前のセブンイレブンでRisingSunメンバーと悔しさを共有していると、担任の先生がやってきました。「俺はお前らがやった行動がカッコいいと思うし、やるべきことをやったと思う。でも、大人には事情があって、俺の力じゃ何もできないこともあるんだよ」と。

結果として、中庭での有志ダンスは中止のまま、文化祭は終わりました。

本当はどうなのか、私にはわかりませんでした。チア協会の教諭が顧問で、有志ダンスと時間が被ってて、ギャルが欠席して有志ダンスはなくなり、署名はシュレッダーにかけられ、来年以降の脅迫をされました。

非常に強い感情で「強くなって、世の中の理不尽を減らしてやる」と思いました。「大人の事情なんてクソ食らえだ。生徒のための学校なのに、なんでなんだよ。」これが本音でした。

だからこのとき「生徒がやりたいことができる理不尽のない文化祭を、いつか作ってやろう」と誓いました。

ガチ文化祭のキャッチコピーの1つに『これは、おとなになれない僕たちの、人生を賭けた悪あがきだ。』というのがあります。代表である私が高校生だったあの時なら、こう言うだろう。と言葉にしたものです。

きっかけは憎悪のエネルギー。『あの先生』を許しているかと言われると難しい。青春の1ページがガチ文化祭を生んでいます。

あの事件のおかげで、と私は思いません。感謝もしない。職員会議での真実が知りたいと今も思います。そんな原体験が共感されるコンテンツになるならと思い、いつまでも語っていくつもりです。