8時間20分寝たらすこぶる体調がいい。ひろゆきさんが最近「「睡眠時間は短くしてとにかく行動しろ!」ってやってた経営者で20年残ったみたいな人いなくないですか?」など述べており、ガチだと思いました。

1月から仕込んだ魂がノッてきて人が自分に集結しているのを感じる。立ち上がった枯れ枝の火を絶やさないよう人生を一番丁寧に育てている。面白いへの解像感が高まる日々。あと3段階くらいバグを仕込みたい。

今日は用事があって水道橋に来てるんだけど、10年前にピカピカの1年生で朝7時からバイトしてたデニーズ東京ドームが閉店したのを知ってショックだった。悲しすぎる。俺の青春が詰まった場所。テスト勉強したりオールして寝てたマックでこれを書いてる。歩道橋で立ち止まって思ったんだけど、おれ19歳のころ全然水道橋を知らなかった。こんな都会だったっけ。楽しいところたくさんあったんだ。大人になって見えたことがたくさんある。あの頃は水道橋を歩いていても次のバイトと今日の予定、リュックサックと貯金の中身。髪セットした襟足と前髪くらいしか考えてなかった。服装はいまでも変わってないか。

高校生のころ日高屋にハマってた。今日はランチに「ピリトン」を頼んだ。サンタサンというニコニコ動画で実況していた「ドSの友人が作った改造ポケモンを実況プレイ」その主だ。いつもTwitterでピリトン。とピリ辛とんこつねぎラーメンを写真だけ文章なしで呟いていた。おれはサンタサンに憧れて日高屋で「ピリトンで」と頼んだ。サンタサンはTwitterもニコニコ動画も辞めてしまった。実況動画も止まってしまった。16歳のおれにとっての青春だったサンタサンはもうこの世界に復活しないだろう。俺は今日も上野でピリトンと注文したよ。

さっきマックの隣にいた女子大生は、日大経済だった。ひとりは新宿から通ってるらしい。もうひとりは付属だと言ってた(たぶん日藤w)お金持ちか思いつつも狭いマックの隣席の会話は片耳に入ってきた。友達が1人もできないとか、卓球の授業で男女ペアなおかげで男子と話せたけど敬語で嫌だったとか、言ってた。サークルの集まりに緊張してると言いながらマックを出てったと思ったら、さらに隣にいる男子ペアが「おいおい、あの子たちと俺ら同じじゃん」「どうする?今話しかける?」「それはきもいって」とか話してた。おれはそんな10年前、中央大学理工学部の教室で農業のイベントの集客をしたり、友達とモノポリーしたりMicrosoftのイベントに参加してた(飲みサーも作ってたけど)ここ水道橋ですごす10年前のおれは彼らと比べると凄まじい脳内スピードで生きていた。10年後の彼らからして俺がここで話しかけるという世界線は面白いんじゃないかって思った。

いまの俺が目の前で大切ではないと思っていることは、10年後すごく大切なものなのかもしれない。けれど今、それが何なのか分からない。どうしたら10年後に自分が大切だったのに知らなかったなあと思うものを見つけられるのだろう。そう考えるとなぜか、なーんにも掴めないこの水道橋の景色を眺めて、涙が出てきそうになる

おれは2年半前くらいに11年間好きだった人を諦めた。たった1人の女の子を幸せにすることよりも、人生を表現し感動をつくることがおれの生きる意味だと決めたからだ。いま思えば、あの瞬間は生まれたことの次に重要な選択だった。好きになってしまった初日も、11年目も、諦めてから2年以上の今も、すべての選択に後悔や未練はない。だけどこういう気持ちの時にはふと、自分が何度も約束したことのある地へ帰りたくなる。それは「今この瞬間がとても自分にとって大事だ。」と強く感じていた瞬間が多い地がそこだからだ。

あの子との思い出の地
バ先の水道橋デニーズ
大学1年マクドナルド
学生団体のミーティング
日高屋のピリトン

時間は平等なはずなのに、エモいという感情とはまた違う非常に価値の高い瞬間がある。思い出の地を振り返れば何百とあるし、何百人の顔が浮かぶけれど、ゲームセンターに週5で通っていたときと、あの子との思い出の地を越えるエンターテイメントを俺はまだ感じたことがない。

人生はまだ60年くらい続くんだよな。されど青臭い29歳。
これまでの人生には1秒も無駄がなかったと思う。
けれどおれは見つけたい。10年後に大切なことを今。


「あれが大切だったんだな」と思えるようなことを
毎日、毎秒を丁寧に生きようと思った。

10年後に「そういえば、過去の約束の地なんかと比べたら、ここでの約束の尊さは何百倍もあるな。」そう思えるような自分の体験を日々アップデートすることを忘れないように、上書き保存した人生を俺は生きる。

10年後に「そういえば、ここが自分との約束の地だったな。」と思えるような場所を
ガチ文化祭で俺はつくる。

おれは人生史上最強のエンターテイメントを、日々更新し続ける。