最近考えていることに「無目的性」というものがある。ガチ勢とライト層とでもいうべきか。ゲーム開発をしていると悩むのが結局ここだ。コアな人は本気でゲームをして相手を倒したいけれど、みんなが好きで、要は売れるのは「楽しければいい」というもの。スマブラもガチ勢の試合を観るのは楽しいけれど、自分がやるかと言われたら酔って適当にみんなで大乱闘してボム兵で爆発したり必殺技で相手を倒すくらいがちょうどいい

ホリエモンも同じ話をしていた。ニセコアドベンチャレースでタイム至上主義が出ると萎える。女の子をバディにするシステムにして思い出作りがバリューになったほうが楽しい。結局ここに行き着くんだなーと思う。

電車ゲームでもヘビー層とライト層という仕掛けを今作っていて、ガチ文化祭でも最大火力という企画枠を作った。本気でやりたい人がそこに没頭し学び悲しみ、人と比較したくさんの感情を得て没頭する生きた心地と、物事を斜めに捉えてもらってでも消費したり友達ができたりガチ文化祭であればテントサウナとインスタと制服と廃校での生活で楽しんだりと観光需要にアプローチする人の属性は前者と全く違い、それらを曖昧にすると駄目になる。

極端に変えるとそれはそれで、別のゲームソフトが同居することになるので、コンセプトの中でシステムを変えなきゃいけない。けれど難しい。太鼓の達人で難易度の「かんたん」と「おに」を同時で遊べるようにするのは難しい。2人プレイでそれぞれが遊ぶならできるけどね。同時に2つ楽しみたいという人には妥協をしてもらう必要がある。

最近考えていることでした。