気づいたら27歳になってしまったって100万回くらい言ってるけど、正直あんまり思ってない。俺が27歳になったんじゃなくて、周りが27歳になったから、あーあ、みんな27歳になって、27歳みたいなことしてるね。っていうか、そんな感じ。

年齢とか何やってきたか、実際マジでどうでも良すぎだ。強がってるんじゃないかとか、疑う人いるけど、強がって思って書くだけでも大体やらないでしょ。0か100かじゃないんだし、強がってるかもしれないじゃん。でもどうでも良すぎるって思って書いてるのは確かじゃん。それでいいじゃん。こういうの言える場が、減ってきてるのはクソほど27歳すぎよねw

精神年齢は子供でも世界は紛れもなく27歳。そりゃー15歳と同じ日常は過ごせない。15歳のころは27歳はキラキラして見えてた。今は1周目の15歳じゃなくて、2周目の15歳しか生きれないんだから。2周目に後悔したり、あの頃が最高だったと思う未来もくるんだから、それがわかってたり、わかってなかったりして生きるのが最高なんじゃんって思う。

人と違うことをしないようにするのが日本人の文化だから、みんなだらだら流されていくことは粋なのかもしれない。実際、多少は流されながら生きておくのが、日本らしくて充実した生き方だとは思う。

 

今年は、人の役に立ちたいと思う瞬間が多かった。これまでは自分が面白いと思う人生のために、友達、仕事仲間、ファッション、彼女。そういうのを繋ぎあわせて、よし、面白くなりそうだぞ。的なのにこだわってきたけれど、今年は、

面白いだけじゃなくて人の役にも立っていたいなと思う場面が多かった。多拠点も実現、オイミャコンも実現、シーシャも二郎も美味しい実現、チャリも全国実現、日本中にデジタルではなくアナログで友達も実現。ガツガツしてたから、今年はダラダラするニートみたいな生き方も実現。ゲームは…まだ実現してないけど、実現に向かい始めた。モバイルハウスもめんどくさいなあ…でもこれはそのうちできる。そんな感じ。そんな感じで超超超自己中心のライフスタイルだった。死ぬほど楽しい人生を描いて、叶い続けてる。

今興味があるのは、この下地に「人の役に立つこと」が乗ること。51%自己中心的、49%人の役に立ちたい。あとは余ったパンくずとか、矛盾してる変なとこで知らない人とふざけたり、知らない女の子と知らない街を歩いたりセックスしたり、結婚して同棲して子供育てて、最悪なトラブルに巻き込まれたり、人生観変わったり、流れるでもなく、ただ刹那に。そういうことが無限にあればいいかな。

人の役に立っていく中で、「あーあ27歳だなあ」って思ってる人と必ず組まなきゃいけない。それはしょうがないかな。助けてほしいし。長く生きてるし。ちゃんと組みたいと思うからこそ、のこり半分の時間では、あとに生まれてきた人だけと一緒にいたい。「あーあ」って思ってない人とだけ生きていたい。「あーあ」と思ってる人と俺がいるのって、求められてないはず笑笑。だって、おれも日本人だから、流されちゃう。定期的にメンテナンスするよりも、最初っからそういう必要がないのを買うのが好き。

人の役に立つ
あとに生まれてきた人と過ごす

この2つが2022年のテーマかな!!