政治と宗教についてフラットに
ざっくばらんに語りますよ、というイベントやディスカッションに、価値はあまりないよねって言いたくて
パネラーの立場では、
インセンティブがないのにわざわざ出向くかってのが
このテーマの答えだと思っている
恣意性がそこにはあるだろう。つまり、何らかの「自分が信仰している主義」側に、人々を巻き込みたい、信者候補を連れて行きたいというのがゴールだと思う
例え話をすれば、ヒンドゥー教のえらい人と、イスラム教のえらい人が、「いい話しようよ」となって、わざわざ客観的に話し続けるかってこと
自分の主張に持っていくのが、落としどころ。
自民党の人が、民主党のメリットばかりを2時間
永遠にセミナーするイベントなんてあるだろうか?
意志のある人間が、意志を消してわざわざ
お金とエネルギーを使うわけがないのだ。
フードロスに興味がないのに、
フードロスの話を朝までしないよね
つまりはそういうこと。
「政治と宗教について」ざっくばらんに話すのは、
とてもリスクが高いし、それが発生し価値になる確率もとても低いのだ。
何らかの活動している時点で、
人間には偏りがあるよねー