2014年から、2023年まで起業家育成の仕事を10年していた。
大局的に人生を設計したときに、当時の時代と、関わっていた人の良さから
そう判断したけれど、当時から「やりたいことを、やっている」ではないと自他共に話していた。
そんな心境で決めた活動の傍ら、
「儚いな」と思ったり、「悔しいな」と思う瞬間に共通点がある気がして、思い返してみることにした。
数日前の話だ。
仕事以外にも
小学校から原体験を深掘りして、紙にすらすらと感情を書き殴った。
あの感情にあるのはいつも
みなが刀を下ろして諦め、離れていく瞬間。だったことに気づいた。
自分は最強なんじゃないかと思うことは、多い人生だった。そして、
似たように自己陶酔に陥っている人が世界には莫大にいる、と学んだ。
8歳から2ちゃんねるをやっていて、ひょんな趣味から「メタ認知」が
幼い頃からできていた。だからこそ、「メタ認知」ができてない人が
「私最強なんじゃないか」「私が考えていることが一番正しい」
「今の私にはこれがぴったり」とか
ヤバいくらい本気になってしまっている人を見ると、悲しくなる。
皮肉ではない。何百回もそう信じるものに
何年も、何年も、何年も寄り添う仕事をしてきたからこそ思うことだ。
ある時から言葉に覇気がなくなり、元気も消え気づくと、
関係が遠のき、オーラも薄く、妥協点が肥大するーーー。
自分が信じたものが、もしかしたら間違っていたのかもしれないと感じた人の絶望を味わう顔も、何度も見てきた。
これは特に、日本が多いのだろうけれど。
他者と比較し、自分で意思決定ができずに、環境に依存し、なんとなく社会や生活を乗りこなす。
実際に、起業家育成を同等のGDP国と比較したときに、日本はようやくフリーランスや業務委託で活動する人が増えてきたところ。少し前までフリーランスが怪しい、信用がないと言われている時代。古すぎると言う意図の文章ですが、そう思わない人もいるのだろう。
このように非生産的な土壌がある日本では、
・パニックゾーンになっていることに気づかず洗脳されてしまったり、
・意味のない日々へ無頓着になり周りに合わせる停滞感を都合よく解釈してしまったり、
そういうシーンが塵を積もらせていると感じる。
自分が当時運営・経営していた業務・サービスは、「起業したい。けれど、どうしたらいいかわからないという人」へ
・損益計算書や貸借対照表の思考で家計簿を逆算して理詰めしたり、
・個人事業主でも企業理念とおなじフォーマットを持てるような自分軸の作りかたや
・株式の分配や役員報酬、新卒の採用構造ブレイクダウンして、学生レベルでも組織を編成するロジックや
・プロダクトマーケットフィットさせるまでの準備をリーンスタートアップ戦略と捉え、個人で商売する前にもコストをかける学生生活の目標の作り方だったり、
このような引き出しを100種類ほど用意し、ありとあらゆる方向性から教育する、というものだった。
日本で起業して、同じビジネスモデルで10年経営し続けられる確率が1-5%(従事をしてみて、もっと低いと思っている)と仮定すれば、100人見たうちの95人は刀を下ろす。この構造化での教育真理は、最初にリソースを享受した際に成長角度が低かった生徒は9割以上鈍化し続け、フェードアウトした。「できない」が「できる」になる確率は、非常に低くマイナスはゼロになるが、プラスになることは少ない。「できない」が「絶望的にできないわけではなくなった」が当時の市場が成長していた際のインキュベーション現場で起きていた荒削りな解だと思う。
そして僕は、そのようなずっとできない人と、一緒にいることが難しくなるという真実にも辿り着いた。
子供が大人になるって、ある意味「そういう現実」を受け入れるということ
だとも思うし、逆に言えば、ずっと自分も子供と同じ立場にいれば、夢を見続けることもできるから
幸せな人もいるのだろう。
ビジョンが近ければ、価値観が一緒なら、どんなにレベル差があっても、共存できる。
そう思っていたけれど、現実はダンバー数が存在した。
実力に大きなレンジが開いていても、脳や時間のキャパシティには支障がないのは150人程度まで。
ある一定から、共存することにストレスを感じたり、ネットワーキングが不釣り合いになる。
当時自分が『ビジネス』を教えていたように、
下部組織を作るだとか、
グループ化するだとか、
ティール化しようだとかで、
解決できると思うのも、まさに自己正当性を高めていたなと思う。
心の中では、爆速の遠心力に周囲が理解を示しにくくなっていたり、やりたいことを実現していく事実への解像感が薄まっている感覚を得たり、
「なんか自分、理解されなくなってる気がする」
と、感じていた。余談だが、昔ならこういう文体に「自分で言うのは烏滸がましい」のような差し言葉を用いていたが、今は根拠を持って発信できるようになった。自分の成長角度が複利で上がっていくなか、同じ船に乗った仲間を置いていってしまっているのを感じることがある。悲しさのルーツへの根拠たる一部。昔の自分の文章は神だと思っていたが、今見ると浅ましく感じる。
それは「構成力」としても「リアルな物語」としての文学性も、だ。
①多くの人は、なにかのギミックでハレーションが起きた「自己確信性」が削がれるタイミングで、周囲の就職やライフイベントと比較し、一気に刀を下ろしてしまう
②成長角度が複利で伸び続ける人が、過去と同様のチームビルディングや常套手段による活動を続けていると、ダンバー数を迎え、孤立したり話が合わなくなる。
こっちの認識の問題かもしれない。けれど船に乗り続ける同志とは殴り合いをして離れるどころか刀を下ろして気づいたらいなくなってしまうことがほとんどだし、自分は崇めた師匠の船すらも降りてしまった身分だ。
「やりたいことが非常に多い人」や「影響力や好奇心ある人」が社会的な裾野を広げると、新たな視点で乗組員を集めなければならない。
これまで自分は、相当な定点観測をしたり、反面教師となりえる同条件下のサンプルデータも数千にのぼる。生々しいデータだし、それだけ根拠も言葉や感情にできる。仕事の例えをそろそろ終えよう、このシビアな問題を鮮明にしたい。
僕は、小学校からあらゆる学校で同窓会の幹事をやっていたし、クラスの人気者で、コミュニティーを何十とつくってきたけれど、「あの時の解像感」で思いだせない。こんな事実は嫌だったのに。これが理由なんだね。
いつまでも地元を大切にしよう
いつまでもバカをやっていきよう
ずっとこれをやれたら最高じゃん
それはある意味で、来なかった。しかし、そう思えていた瞬間は幸せだった。
いつまでも。ではなくって、今その瞬間を大切に。刹那を生きよう。そして、美化された思い出は宝物のように大切にしよう。
いつ、その自分がいなくなるか、
急に相手がいなくなるか、
わからないのだから。