インフルエンサーという仮面舞踏会。その先にあるのは人生という仮面舞踏会だ。
結論、優勝したジョージが、「何者」でいう『瑞月』だったのではないか。
【ハッシュタグハウス】をメタ的に「ビジネスチャンス」と捉えていたジョージは、子供のふりができる大人。そんな大人なジョージとの対立構造になる他のインフルエンサーを楽しむエンタメだと思いました。
優勝した人はサイバーエージェントが夢を叶えてくれる。ジョージは「厳しいって。」でショートバズする前の本当にやりたいことだった男磨きハウスを青春で終わらせず起業したいのが夢。非常に明確なビジョンだ。
この、優勝のインセンティブ。
コミカルな雰囲気から逆にディストピアな匂いがした。M1なら1000万円。それは芸人=飯が食える。成功。というわかりやすい応酬。インフルエンサーはお金持ちなことはある程度みんなが知っている。けれど夢は?

「そんな夢」を与えるという企画。
クッソつまらない意見として、教育番組みたいでもあった。
しかし、そんな僕も片石くんやポインティさん、チ。の編集者が対談しているYoutubeであったヒカルさんや令和の虎たちが謎の大阪ホテルで闇の取引をするくだりヤバすぎる。ってとこでガチで腹筋シックスパックになるくらい共感死で呼吸停止するところだった。
「元々なんの集まりだったんだよ。嫌すぎる。」っていう千代田さんの一言、ガチで19億回笑える。やばい今見ても腹筋がつる。w
また、別の視点からも、すごく楽しみにしている1か月間だった。
海外のリアリティーショーで自殺者が生まれたり、規制や契約書が厳しくなるというエンターテイメントの実情を、LARP(Live Action Role Playingの略)領域で起業している僕からしたら、このハッシュタグハウスは非常に注目していた。LARPとは現実世界でゲームのように身体的感覚を楽しむもの。近いものだとマーダーミステリーやサバゲーがある。個人的ベンチマークに海外のリアリティーショーや、ミスタービーストがある。
最近のAbemaの制作クオリティ、世界の果てひろゆきあたりからとんでもないくらい上がってきて、一つも目が離せない境地にきた。Abemaが赤字掘り続けてデスバレーとか話題だけ一人歩きしていた頃が懐かしい。
だからもちろん、全部見た。
初めてAbemaプレミアムをちゃんと課金した。朝倉未来1000万円見てすぐ解約したはずなのに。初めて新作が見たくて契約した。(見たいのは契約しなくても色々と見れていたからね….

結構ずっと面白かった。批判的観点ではなくリアルさとして単に面白かった。恋愛リアリティーショーと違って本人の実力や器、ライフスタイルも関わってくるし、反面教師になるベネフィットがあるなあと感じた(サイクリングシーンで出てきた淡路島の「さの小学校」とか、偶然遊びいったことあって、進化してて感動した。)

けど、途中から感動したのはジョージの振る舞いだった。
生粋のエンタメYoutuber信者衛門バーバパパオタクからしたら、この沼に転がるニキネキには明るい。だから「ステハゲ」ってコメントも、エンタメが好きだから笑えるのもあるんだけど、別にジョージのファンではない。一時期シェアハウスでコールドシャワー導入したくらい。ジョージは情報商材っていう純ちゃんのgm配信で、もうなんか興味なくなってた。うんこちゃん厳しいって。
ぼくは、かとゆり×ジョージのコールドシャワーのショート動画で、
ハッシュタグハウスを知った。
「上智登場時代のヒカルさんとメディアエイドのりょたくん的な仕掛け?みたいな化学反応が起こっている」と思ったけど、全然アベマの企画だった。これは変な意味じゃなくて、もうステマは通用しないから、ステマみたいな本物をやる。っていう「エイプリルフールに本当に凄い事をする」だったり「水曜日のダウンダウンのドッキリでした~!じゃなくてホント!!」系のコンテンツなんだなと感心した。
ハッシュタグハウスでは頻繁に、ジョージが流れを変える動きをする。
ほか演者のインフルエンサーの目線も、常にジョージに目が向いて番組では「頼れる」と称されていたが、あれはそうではない、本質的にあの現場で影響力があるのがジョージなのだろう。そう感じた。
印象操作ってすごいなと思った。たぶんジョージが一番知られているわけではない。
ぼくは偶然エンタメコンテンツを見る頻度が多いネットユーザー、SNSユーザーだけど、
かとゆり=神のひとも、
ロイ=神のひとも、
おだけい=神のひとも、見聞きしたことがある。
けれど番組で、1回戦でジョージが対立構造を作った瞬間から、台風の目がジョージになっていた。
ジョージへの好感度がどのくらいあるのだろうというエンターテイメントに途中から視聴スタイルが変わっていくような画角に変容していったのが見て取れる。
ジョージと撮影スタッフ、どこまで阿吽の呼吸なのだろう。
そう思った。だってジョージが男磨きハウスでビジョンを叶える時は、このスタッフ達を回す側の立場になるのだから。
対して、かとゆりがヒカルさんとの闇取引の結論についてだったり、アカウントが制限されてレギュレーションについて問うてるときは、自然さが際立ったけれど。
「何者」について書きたいから、色々端折るけれど、結論としてジョージが優勝した。
ジョージは何食わぬ顔で登壇するというタスクをこなしたように見えた。
エンディングの曲披露。確かにあの曲、バトルシーンみたいでテンション上がるけど、フルは求められてないだろ。みたいな雰囲気のなか、ジョージがちゃんとコメントで巻き返そうとしてるのを感じた。
なんなら「おだけい」が優勝するかもな。と僕は思った。
優勝レースになって、キャラクターを軌道修正したように感じたからだ。
エンターテイメント×社会貢献のコンテンツは参入障壁が高く、24時間テレビのように炎上リスクも高い。そこにアベマが入れば合理性がある。DJ社長からの卒業として銀太の影もチラついて、非常に刺激的な未来が見えたし。そこまでは分かってるように感じた。けれど、結果的にジョージが優勝で。さすがにかと思った。以上が感想。
競争という仮面を被ったカリスマ(凡人)による、心の声を無理やり抉るリアリティーショー

わざとらしく表現するならこうだ。べつに僕は演者の誰かと親密でもないし、面白そうだからお金を払ってテレビにあれこれ言ってるお茶の間のペルソナ。そんな僕が潜在的に感じたのは、「インフルエンスするのが仕事だから、なんでもできるわけじゃないんだな」を節々から感じるエンタメだった。
陳腐化したまとめ。でも多くのユーザーが感動するのはここだろう。
けれど、これがジャニーズだったら出来なかった。ジャニーズ=すべてが神だったから。
リアリティーショーの市場拡大は極めて合理的だ。昔は友達に芸能人がいる人なんて少なかったし、だいたい同じ学校出身で、所得も高い属性でまとまっていた。10歳前後からハイスペックな同世代と比較競争し、インターナショナルな教育を受け、エリートと芸能の垣根も分断されていたように思える。
しかし今は違う。
100万再生行ったことがある友達、フォロワー10万人いる友達、
それこそヒカルさんと撮影した人やらブレイキングダウンと仕事してる人やら、令和の虎に出た人、、、、、、正直
そんな知り合い、だれでもいるわwwって時代。
芸能人、インフルエンサー、Youtuber、、、、、、、
それが当たり前になった職業。英語ペラペラくらいの感覚になってきたのだから
この期待値を埋めるエンタメは成立するに決まっているし、悲観的にみればこの
リアリティーショーすらも、M1で令和ロマンが2連覇するように、死ぬほど優秀な人たちが順当に、社会ですばらしき夢を叶える通過儀礼になるのだろうと思う。
けれどそれもまたアンチテーゼ然り、振り子はゆり戻す、、、、、、、
タイトル回収。朝井リョウさんの「何者」とは就活生が共同生活をしながら、自身の人生と、他人との比較にひどく悩まされ、見るものに当事者意識と共感性羞恥をもたらす秀逸な作品です。

この何者で、「瑞月」という冷静で大人なキャラクターが出てくる。とくに強引なつもりはないが、久々にいろんなネタバレ引用を見て、あーやっぱり似ているなあと思った。
ジョージは、番組のことを考えて動いたり、自分のビジョンのために動いたのだろう
対してほかの演者は、自分のドラマや、他人との競争を考えたのだろう。
これを「大人」と「子供」とあえて区別し、投影してみると非常に興味深い。
インフルエンサーリアリティーショーは「令和版何者的コンテンツ」であり、彼らはジャニーズではない。
スマホで暇つぶしに、ハッシュタグハウスを見ている僕らの写し鏡だ。
だからこそ、彼らは純粋に企画を実行できるし、そこに生じる小さな「やらせ」も幼稚で可愛く映るし、ステマなど本質的に存在しない。私たちが感じること、自分ならやってしまうだろうな、ということの無限サイクルが、コンテンツに映し出されるのだ。

そしてこのような考察が、実在する人物にされることで、アンチとは違った精神的な痛みを伴うコンテンツであり、海外ではすでに規制が強まりつつある。もしかすると、むこう10年と見れたコンテンツではなくなるかもしれない。現代でLGBPQやインクルーシブな社会が過剰に持て囃されてきたように。

僕がこれらを踏まえて、凛と纏めるならばハッシュタグハウスの良いところは
「何者でもない人を見て、自分すらも何者かになれる番組」
だと思いました。生憎僕は非常にやりたいことがある人間だから、そこまで共感はできなかったけれど、エンターテイメントコンテンツ制作を志す人間として備わっている冷徹な悪魔の目は、そう言っていました。
いつも通り明日限定公開にします。




