高3進路選択、その時からの親友がいる。

彼は専修大、僕は日大に入学。地元は同じ茅ヶ崎。

ギャップイヤーからよくカラオケに行っていた。

入学して1ヶ月目くらいのことだ。

向ヶ丘遊園と水道橋じゃ行きは違う。

「将来どうするん?」って帰りの電車で雑談した。

4割以下しか4年制大学を志望しない公立高校で文化祭のリーダーとかをやっていた

「公認会計士を目指す」と彼は言った。安定して1000万円以上稼げるみたいな理由だった(違ってたらごめん)それと、起業を視野に入れて起業スクールに通っていた。

「旅人になる」「海外に住む」「田舎に暮らす」僕は3つの選択肢だった。彼とは違いすぎる。彼は野球部で僕は帰宅部。帰宅部は最高に無限だった。

放課後、チャリ2分の実家に帰ったらニコ動で「青鬼」や「VIPマリオ」とキテレツなゲームの実況を見る。それか、ゲーセンでプリ撮る、びくドンで恋バナ、カラオケ、海語りと青春ゲームをプレイしていた。遊びを最重要視していた。だから受験も失敗した(早稲田政経志望)

野球部上がりの彼が簿記や起業と堅実に投資するのを見て「こいつ、偉いだけじゃなくて賢いな」と尊敬していた(少しだけ)。ギャルヤンキー高校卒業の僕らは東京という”意識の高い波”に揉まれながらも「幸せになりたい」という至上命題のため、何百と語り、議論を重ねた。そうして13年が経った。

この前も彼は奥さんと、誕生日サプライズをしてくれた。
カラオケに行ってから10年。28歳くらいのとき、僕が住んだ大阪でシーシャ屋に行った。
すっかり親友となった彼は言った。

「俺にとって本物とは、やりたいことをやっている人のことだと思う。」と。

大学1年生の春。彼は公認会計士を目指していたが、結果として大手人材→SNS系ベンチャー→ブロックチェーン企業→AI SaaS企業へとキャリアアップし、起業もした。10代のころやりたいと言っていたことをやっていると思う。僕はどうだ?

19歳当時、彼がいた起業スクールでキャリアがスタートした。結果として海外でゲストハウスをオープン→大阪と福岡と北海道でシェアハウスを設立し何年も暮らす。旅は、数え切れないほどした、彼ほど綺麗ではないが、先週もヒッチハイクをしたし、やりたいことはしている。
10年前は「公認会計士と旅人」の二人。グッと解像感の高い人生になった。

しかし、幸せではないと思い、悩むことばかりだ。


戦略と夢は違う。やりたいことはできている。けれど一番やりたかったことなのだろうか。精神統一したときに一番やりたかったことはやれているのか?ここ数カ月は「絶望したくない」と僕に懇願していた。近づいてると思っていた道が途中で乱れて、登る山が間違っているかもしれないと危機感がすごい。


「遊びを最重要視していた僕」はどこにいったのか
やばい。

19歳の時、付き合っていた彼女と連絡を取って、相談をした。全然関係ないバイトしたら?とかフィードバックもらった。確かに自由のなかの制約に夢中だったな。今はやりたかったことの表面的な部分が仕事で、遊び心がなくなった。されど必死に掴んだ9割強自己実現のキャリア。資本主義のなかでゲストハウスとシェアハウスを扱う道も登りながら、一人で海辺に出てみようと思った。

空は青くて夏が眩しい。31歳の絶望的なサマータイム。彩りがくすんだ心を磨こうと上の空。夜明け前の悲しみも気づけば朝日が昇り波打ち際へ。泥団子のような心の内側から焦点を合わせて、肉眼レンズの淀みを拭くと、見覚えのある景色が広がっていた。

この時ブログにしたいと思った僕は、やりたいことに向かおうとしていたんだね。茅ヶ崎の灰色な海や、メダルゲームで手が真っ黒になっていたことが途端にエモくなる。

2歳のときお父さんがやっていたFF7をプレイして、8歳で2ちゃんねるにハマって、9歳からゲームセンターに毎日入り浸り、MOTHER2は10歳のときにプレイした。

ゲームをしていた記憶は色褪せない。だから”色褪せないことが価値”だと思っていた。「ゲームみたいな生き方っていいよね」と伝えるロールモデルであった。ここで、立ち止まり深呼吸をした。

どこからどこまでが「ゲーム」なのか?「何のゲーム」のどこがどう楽しいのか?そんな感じのことを頭で考えていようとしたら、考えるよりも先決した。

FF7のミドガルズオルム・忘らるる都、ポケモンルビーのカイナシティ・そらのはしら、MOTHER2のフサターンバレー・フォーサイド、ロックマン4のウラインターネット、ダイスDEチョコボのいにしえの遺跡、トマトアドベンチャーのレム・ノンレムめいろ、

僕は、ステージに入り込むのが大好きで、次のステージに向かうことへ「夢中」だったんだ。

ゲームはスポーツのように「攻略・勝敗・コンテンツ性」が語られることが多い。しかし僕が最重要視しているのはステージに入り込んでいくことと、次のステージに向かうまでのワクワク感だった。

・ステージに入り込んで行くこと
・ステージに向かうまでのワクワク

「バイオハザードのドアの演出」に激しく心を突き動かされる。実際にこの画像を見ただけで、普段の何十倍ものアドレナリンが出る。つまりはそういうことだった。

インスタアイコンは、MOTHER2という糸井重里さんが作ったメッセージ性の高さが世界トップクラスのゲームに出てくる「おまえのばしょ」というボス戦闘前シーンを切り取ったもの。

個人的にMOTHER2で一番好きな「おまえのばしょ」はマグネットヒル。都会の喧騒の地下で、不気味で汚い異空間が広がっているなんて…これに近い感情を齎してくれるゲームとしてFF7リメイクの地下下水道(コルネオの隠し財産)があると思う。リメイクされて痺れた。サハギンプリンスがカッコいい。

ここから話を始めれば、僕は強烈なビジョンがまだ描けることがわかった。自信が出てきた。千と千尋の神隠しの「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで…」が言い得て妙。18歳のときになんとなく進路選択した「旅人・海外生活・田舎移住」それは泥団子の核心ではなく、人生をRPGするステージを探している初期衝動本能だった。

そういえば小学生のころの夢は「お金持ち」「ゲーセンの店員さん」「ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン」だった。さあどうしようか…

■お金持ち → ゲームとステージの利用料金で稼ぐ
■ゲーセンの店員さん → ゲームやステージを直したり、準備をしたり、新しいのを置く
■ブルーアイズホワイトドラゴン → 炎山友秋として無限の追求をする

こんな感じかな…18歳宮代の夢は表面をなぞるようにクリアした。次のステージは小学生のときの夢を叶える。そしてその次は…この初期衝動を自分のものにしたい。ゲームが好きな自分を、超越していきたい。

これが僕のゲームを作りたいという衝動。

MOTHER2に言わせるなら、

うばいかえせばよい。
……できるものなら。

だろうね。エンタメ系で起業したいとかじゃなかったし、自由人になりたいとかでもなかったし、もしかしたら、ただふざけたいとか面白い人と遊びたいとか、無限を表現したいとかだけじゃないかもしれない。無限も文化祭も旅もまだカイナシティかもしれない。
託がポロッと言ったあの言葉。とても響いている。近くにいる人の話が一番入ってくるのって面白いよね。本物になって幸せになるために人生を送ります!