グッドモーニング👍
7時55分に道の駅おっちゃんに起こされて、20分で出発準備ができた。歯も磨いたよ。
今日は土曜日だから山形の遊佐町の通り道ですら駐車場には車が30台はいる
そんな最中、おっちゃんがベンチでタバコを吸っていて「俺も出発前にチルするか」と思えた。

それで思ったんだけど
チルって自発的にできるひと少ないんじゃないかと。
そしてこれも遊びなの一つだよなあと思う。

佐渡島に行って、ひろむの地元を案内してもらってた。
ここで友だちとよく集まってたわ、と
「何の遊びしてたん?」と自然な会話で友だちが聞いたんだけだ
確かに自然な会話として気にはなるけれど、おそらくそこに存在していた
遊びは夜にコンビニの前にたむろしに行くまでが遊びであり、チルだと思う。
友達のいるいないの話ではなく、こうしてママチャリで旅をしていて思うけれど
旅のブログを書くのもチルだし、遊びであり活動
そんなこといったら、一人で観光しにいくという遊びも遊びだし
友達としか牛丼屋、焼肉屋、居酒屋に入れないというのは
致命的なことだと思う。

現代にはいわゆるチルという文化が生まれ
海外ではオーソドックスだったが、日本にはあまり浸透していなかったように思う。
実際にカフェで読書している人口を海外と比較したら面白いかもしれない。
このチルという消費を、しやすくしてくれたのが一人でも入りやすいバーとか
二郎系のカジュアルな店とか、サウナブームとか、シーシャ屋だと思う。
気づいたら、一人でも遊びに行けるというエンターテイメントが世の中に増えてきたように思う。
平成初期には、まだ遊びが少なく、ひとり遊びが得意な人しかできないエンタメでありスポーツの領域だっだと思う。友達と鬼ごっこをアレンジしたり、新しい遊びを思いつくのもそうだ(俺は、死体ごっこをしてた)

おそらく令和と昭和平成問わず、いつの時代にもひとり遊びに失敗した人は数多くいるが、彼らの需要があることを忘れてはいけないし、
SNSやYouTubeもひとつの遊輪を提供していると思う。

友達がいないと遊びに行けなかった世の中が、一人でも遊べる世の中に変わってきて、
令和ではそれがチルという代名詞によって、友達といる理由がなくてもいいものなになり、陽キャの領域だったニッチな市場が大衆化してきたのだろう。

さっきのおっちゃんは、たぶん若い頃はたくさん新しい遊びを作っていたのだろうね。素敵なチルおじだった。