最近、流れるように生きていて、やっと堀江さんの言っている意味がわかったように思えます。
>>> 周りに流されるのではなく、自分の川の流れに逆らわず、自分の運命に逆らわずにただゆっくりと流れていけば、必ず行くべき海へ出られる。僕の思考の底には、そんな確信がある。
>>>未来は、不確定性に満ちている。逆に言うと、まったく確実ではないから、未来は未来なのだと言える。
>>>いちいち一喜一憂していても、仕方がない。
>>>不幸なトラブルも、ラッキーな成果も、ぜんぶ流れのなかのものとして、受け止めないといけない。
>>>最終的にたどり着く大きな海は、変わりがないと思う。起きることは全部が当たり前。行くところは僕たちの意図や願いでは、どうにもできない。
感覚派か論理派か?論争ではない生き方を考えます
俺は今どうして大阪にいるのだろう この前まで広島福岡にいたのだろう
どうして東京に行くのだろう 北海道に行くのだろう
あれ?そもそもなんでここにいるんだっけ
僕はずっと、高校生の時からスタンスが変わらない
何一つ変わっていない
未熟だった頃だから、もちろん今よりずっと何をしてるのかなんて
悩む知恵もなかったし、あの子と付き合えない、めちゃくちゃイライラした
暇すぎる 遊びたい 友達がたくさん欲しい しょーもないようで今でも大切な
それでも少ない知恵だから、大したことで悩むこともなかった
でも僕は、あの頃も自分から進んだとも、なにかかわったとも思わない
感覚でいる時が一番心地よいと思う瞬間があり、それは
あれ?高校生のころの俺は、どうしてこんなところにいるんだ
世界に入って 気付いたら こんなところにいるんだと
自分を馬鹿馬鹿しく嘲笑し、俯瞰する瞬間だ
最近はそれがよく来るようになった
戻ったんだろうなーと思う 毎日必死で駆け抜けていた毎日に
少し虚しくなるというか、僕は確実に大きな知恵を得た
多くの資産、人脈、金を得た 謙虚になるつもりはない
ある意味で、ふわふわした時を過ごしていると思う
だって、思い通りになりすぎたことが多いから
なんとなく確信めいていた自分の生き方、それに値する状態が
今目の前に、簡単に手に入っている。これは自分の魂に対する贔屓でも
なんでもなく、ただひたすらに事実であって
7年前に日本一周していた時の俺の日記を思い返したら
とんでもない富と幸せを築いてしまっていると思う
びっくり仰天だ これがまさに人生設計を前倒した証拠だ
高校生の俺が手にすることが難しかったことを得たのに
俺の感覚は高校生の頃と同じところに生き様、信念がある
胸の奥底だけじゃない。今すぐ抽出できるくらい表面的に、
あの頃=NOWの、「性格」と「僕という人格」と「それを使う俺」がここに
転がって、存在して、必死に生きている
なんとなくだけど、あと1年くらい
この流れに身を任せて生きる、生き方が続き
メタ認知もできず、自分が何を目的に分析した結果 腹落ちしているかもわからずに
ただ、こういう書き殴りを元にした着想とか喜びとか
新しい何かを発見したい冒険心とか
それを気持ちいいと思いながら生きていくのだろうなと
わかってしまったからおれはやっぱり
高校生なんだろうな 本当にタイムスリップして
人生2周目を送れてしまっているのだろうな 不思議だし
あっけらかんな気持ちでいっぱいだし、未来希望が
当たり前に日常化している
誰かが決めた言葉にならえない。
これがなんなのかを正確に定められない
識別できない透明な感情が、これを書き始める前も、後も
多分明日朝起きてからも、ある。
不思議さがまさっているけれど、それ以上に、それ以上に喜びが訪れることを
俺は予知できてしまっているし、それは一切怖くないし、知ってしまったことへの
後悔の念なんて絶対に感じないし、多分だけど僕は、すべての負債やマイナスポイントを
好奇心と、生きる素晴らしさで勝手にかき消してしまっている
どう見られてるのか知らないけれど、多分僕という存在を、僕が分析できる目線にいたら
壮大なポジティブエネルギーで満ち溢れた大きな大きな存在と言うだろうな
無限大のエントロピーが随所に緊縮を繰り返し、そのスピードを拡げ続けているようだ
だから、いつでも、ターニングポイントだ。
なんか、そんな感覚でまとまってみたけれど、
多分明日も新人類。
どこにいるのかわからないのだけど、”多分”だけど
僕が死ぬほどやりたかった「人生の旅」は”絶対”にこれだ。
ほらね、もう変わったよ。