ポジティブな理由があり、執筆している。
このテーマは、現代の若者に蔓延る「あきらめ」の話。
#はじめに —どうせ、自分のことなんて
まず「なんのために、この記事を書くのか?」をプレゼンさせてほしい。
適当人間というテーマで、何十本もあげていければと思っている。
皆さん「適当人間」というワードは聞いたことがないですよね。
これは、ぼくの造語です。
適当人間とは
どんなひとなのか?なんの記事なのか?
わかる文章を、今から書いていきます
普段、運営しているシェアハウスでの話を出そうと思います。
場所は大阪 住民はフリーターでものづくりをしている人と、就職しないでお店や会社を運営している人 あわせて10人。
地元と2拠点をしたり、事務所利用で活用している。
LINEグループがあります。例えばこんな風に

料理、買い出しを報告する文化があります。
面白いことや、トラブルを共有する「掲示板」として動きます。
カレー、おいしそうですよね。
ご飯をつくったときは「何人前なのか?」書いてもらっています。
結論から言います。
「5人前」と書いてあるのに、帰ったらもうない現象。
これめっちゃあるんですよ!
シェアハウスに住んだことがあるひとなら、こう言うでしょう。
別によくないかと。
同居人が料理を作ってくれる。それだけで「ありがとう」だと思います。
しかし、ぼくが運営しているシェアハウスで、これは怒られます。
誰かが食べるための報告が、帰ったら大体無くなってる。報告の意味がない。
これ以上、喩え話に触れないけれど、
カレーを作ったとLINEが来た。家に帰ったら残ってない。
…「誰かが取りすぎた」と思いませんでしたか?
違うんです。起こっている事象の真実が。
「そもそも、5人前じゃなかった。」
ほぼ、これ。
僕は感じてしまったんです。
普通なら気にしないと思うんです。書いた通り。そもそも作ってくれている。
普通なら、あーなくなっちゃったんだね。
ほとんどのケースで、以下のようなことが起きているようです。
お皿に盛ったら3人分。1皿は自分が食べる。
なのに、作り終わってスマホで報告
「なんとなく」5人前。
自分では、5人前ではないだろう
または、そのくらい気にならないだろう。
あげたあとに自分のぶんが減っても、細かいことはいいだろう。
または、
今あなたが、そんなこと「だからどうした」「厳しすぎませんか」
そこにある感情をもつ人間のこと、その要素を、
「適当人間」と名付けることにしました。

イメージ画像は、ひとり暮らしの場合にしてみた。フィクションかもしれない。一覧化すると、こんな感じではないでしょうか ↓
・ファミマ水がちょっとだけ放置
・目標の紙を貼る
・家計簿つけようとレシートまとめて散乱
・おしゃれのために買った服は脱ぎっぱなし。家でいらない服を着る
・大学生協で買ったPCで動画編集学ぼうとしたが、布団に放置
・友達を真似て、壁にコルクとかチェキでいい感じの写真だけ貼る(テープは何度も剥がれる)
・中国製の海外充電器の箱、捨て方がわからず棚に積む
・ビジネス書を買って、読まずに棚にだけ並べる
・安かろうで手に入れたテーブルとカーテンを「これでいいんよ」と自己称賛
今回の記事は、適当人間によっては、ここで閉じたほうが良いかもしれません。
ぼくはこれまで、100人以上を、自分がつくった家に住ませてきました。
ゲストハウスや、ソーシャルアパートメントではありません。
一緒に業務スーパーに行ったり、朝までシーシャ吸いながらエモくなったり、ぼくがつなげた人同士で付き合ったり、仕事の関係になってからトラブルになったり、生々しい人間の数です。
Instagramでは一言名言みたいなドヤりを散らかしたり、裏アカウントで真実的講釈を垂れたり、後輩には借り物の栄光をこれは自分だと謳っていたり、イベントの現場ではすらすらと口が進んでいたりと
そんな人がおうちに帰ると、変身して野生化する。
ふしぎなことに、慣れてしまうと冷笑できないんですよね。
そんな適当人間。
ぼくは、自分が適当人間にならないための「すべ」を、考察することにした。
この記事は、適当人間への警笛でもなければ、救済でもありません。
適当人間は「テキ=トウ」なのです。
生まれ持った才能とも言えるかも知れないし、性犯罪者のように自覚症状がないかもしれません。
適当人間の要素を、徹底的に削ぐための、適当デトックス記事です。
そのために、適当人間とは、なんであるかを記し、自身が適当人間から解脱するための自戒を込めて分析をします。ですからエゴのために書くのです。
適当人間は、どうせ自分のことなんて
そう思っているのです。自分は生きている意味がない。自分はダメな人である。
自分はなにをやっても怒られる。自分はまた同じことを繰り返す。自分は変わらない。
そして、そんな自分に嫌気が指しているけれど、できることなら夢を追って生きたかったり、誰かのために愛したかったり。そーいう普遍的希望をもっていることを、他人に理解されないと考えています。
ぼくの解釈では
① お父さんとお母さんから「自由と愛」を享受した強度
② 高校までに触れ合った価値観の数
③ 相手の目をみて、自分のことをハキハキと喋った回数
これらの得点によって、適当人間になるかどうかが決まると思っています。
しかし、本記事テーマでは、性質をハッキングして、根本治療を促す「啓発記事」ではありません。
反面教師にするためには、どうしなければいけないのか。
会わないようにするためには? 身近にいて、引き剥がすにはどうしたらいいのか?
そんな適当人間からの解脱を目的に書いていこうと思います。
ぜひ読んでくれたら嬉しいです。