今朝、あたりを歩いた。自分は理念を持って生きている。その理念は『人生を無限で表現する』というものだ。人生が退屈だと思っている人が、自分と出会ったときに「無限」という哲学に触れていただき、大きいことはせずとも、少しばかり参考にしようと「生きる意味」にしてほしい。僕はこれが幸せだ。生きがいにしている。
正真正銘オリジナルだ。高校のころは「世界」と言っていて、20歳からは「無限」と呼んでいる。「なぜ今、人間として生きているのか?」の答えは、人生を無限で表現できていないから。これに尽きる。
もうひとつ哲学がある。『ThanatosGames』というものだ。人生はそもそも暇つぶしなのだから、意味がないことを目的にしよう。人生をひとつのゲームと考えよう。自分の人生ゲームを面白がって、セーブのできない残1機をプレイしよう。といった哲学。社名にもする。ThanatosGamesは、人生ゲームというハードをより面白がらせるゲームソフトを開発している。プロゲーマーとして死ぬまで生きる世界線をつくっていく。
これもオリジナルだ。小学3年生から2ちゃんねるとゲームセンターに引きこもった。中学生からニコニコ動画とブログにハマった。大きなゲームフィールドだと思って生きていた。そこでこの価値観が形成された。
ほかにも、哲学はある(『Im traveler of the life』など複数)。「僕がどんな人なのか?」の代名詞はオリジナルで生み出してきたものだ。そんななか、新たな価値観ができた。それは『現代ミニマル』だ。
現代ミニマルとは?
この言葉は、オリジナルだ。
また生み出してしまった。
現代ミニマルを説明するためには、ミニマルを説明する必要がある。
僕にとってミニマルとは、必要最低限の偏愛で生きることだ。一般的には「物をめっちゃ減らしてる人」だろう。それで合ってる。少なくともGemini先生は似たようなことを言っている。


ミニマルというのは一般的に、美しいと思った人が取り組む。そして愛する。僕はこう解釈しているし、もしもミニマルを勧めるなら、何かに囚われて生き方が美しくないなと思っている人に勧めるだろう。「まずは断捨離、してみたらどう?」とかね。
自認は、シンプリストだった。
僕は、折りたたみスマホをずっと使っていた。5回も買い替えた。
今はGalaxy S25を使っている。折りたたみスマホは辞めた。そこには理由がある。
しかし、ミニマリストなら、新しい物が増えるとなれば、減らさないとと考えるだろう。
僕は、物が少なくて済むことよりも、新たな機能が内蔵されたデバイスを試すのが好きだ。
むしろ物が増えていくライフスタイルだから、いわゆるガジェット好きのシンプリストだと思っていた。ごちゃごちゃしているのが好きなわけではないし、よくライフスタイルを編集しているしね。
ある人がきっかけで、人生が変わった。
僕は毎年、人生のテーマを5個決めて、それ以外考えずに生きている。
以下の25-5ルールだ。
バフェットは25-5ルールを実践していないし、これを提唱したというのがデマという説もある。自分は20代の頃、教育の師匠に「テーマを決めて、こだわれ」と育てられた。2018年ごろから似たような目標設定をしている。今年は目標設定アプリを自作し、管理している。そのうちの1つが「物を100個にする」というもの。断捨離をするでもなく、人生において意識する「物を100個にしたい」と思い、25の目標を出したなかで、ほかの20つを上回り、今年やり切る目標にしている。(ちなみに捨てたものは「会社登記」「ベルリンLARP参戦」「DONOTENTER作成」「KAZUNO LONELY作曲」など)
ルーティンを共有します。毎週月曜日「所持品について考える時間」を取っている。Googleカレンダーに「Mon+DayだからMONODAY」と定期予定を入れているくらい本気だ。ほかの曜日でも物について考えているが、月曜日はもっと考えている。なんたって「モノデイ」だからね。そんなある月曜日、とあるYoutuberがアルゴリズムで回ってきて、動画を見ている途中、ふと、
雷に打たれた
(誰のどの動画かは、いつか有料記事で紹介するが、今日は割愛する。)のだ。
悟った。
自分は「買い物」が好きなのではなく、
物を通して「自分と対話するのが好き」だということに。
…この記事はおそらく、インスタから飛んできた人が多いだろうから、主に知り合いが見ていると思う
– 僕とプロジェクトを回してきた
– 僕にビジネスを教えられて育った
– 僕と遊んだ、住んだ、旅をした人たち。なら知っていることがある。
炎山友秋氏、会うたびに、新しい物、増えてないですか?
「イノベーターすぎる」「需要なさすぎるとか」「最先端すぎる」
◯◯すぎるという表現で、僕に突っ込んだ人多すぎる件。
1000回くらいこのコミュニケーションで他人と話してきた、全くふざけていなかった。
僕は常に真剣。あらゆる今の自分にとって物とは「僕にとって青春の最適解」で、カッコいい瞬間なのだ。(どうしてこのアイデンティティに今まで気づかなかった…)
月曜日はいつも幸せで、物を減らすかどうか必死に考えている。物をフィルターにして、自分と対話しているのだ。向き合っているのだ。ex) これから令和の超AI時代を生きるために炎山友秋というキャラクターの自分は TypeC 65W 2口小型充電器を常携することは胸を張れるのだろうか、など。
あらゆるSNSを数日間とじた。ここ一週間は朝6時に寝ていた。誰からも連絡が来ない時間、自分の運営するシェアハウスにも行かず、ひとりで考え続けた。誰に理解してほしいのだろう。どんな無限やゲームに転用できるのだろう。人生の礎になるのだろうか。そうして、自分にとって出た答えが
現代ミニマル
という提案です。
つまりは現代アートのミニマル版だ。僕は落合陽一さんの「計算機自然(デジタルネイチャー)」という現代アート(Experimental 実験的/Conceptual 概念的 な美術)にひどく感銘を受けて生きている。現代アートとは作品を認知した人間が、自らの感性で意味をデザインすることに価値が置かれることが多いと考えていて、自分にとってデジタルネイチャーは、エリートサラリーマンがヒッピーになりたくて限界山籠り系のVLOGをあげることが副業になり経営のサラリーマンになる快楽的な虚構自体を称賛したり、脳汁横丁のようなデジタルハックコンテンツがAIショート動画上で模倣され、それもまた無限ミーム拡散される全体像がフラクタル構造的になる事象も一つ計算機自然だなと感じている。このような主観的な哲学の拡張性こそが、現代アートの格式だと思って、潜在意識のなかでは恐らく、現在アート的な思考を張り巡らせ、僕は日々を生きている。
そんな現代アートの「新たな現象を生み出す」というCreativity機能を失ったContemporary(現代的)な概念が自分のなかでは「物」に帰属している。引っ付いている。これは、もしかすると「必要最小限」でも「偏愛」でもなく令和の物好きなんじゃないか。お買い物やガジェット好きという嗜好は、なにも多ければ・派手であれば良いとされる「マキシマリズム」では説明できないまさに現代ミニマル。現代アートを視認することで己と対話することと酷似した、孤立空間での修行なのではないか。それを形容したのがこの「現代ミニマル」である。
現代ミニマルとして、生きる。
よってこれから炎山友秋そして、真の姿である宮代自身も
無限そしてThanatosGamesという思想レイヤーの基に、新たな現代ミニマルという価値観を足して、生活することにした。手始めにMUGENDAYOをリブランディングし、Instagramの発信方法を現代ミニマル的なものにしていこうと思う。
何を衝撃、と肩透かしにあった人もいるかもしれない。
けれど僕のなかで、この感触は、まさにこのブログのように、未来永劫続ける自信のあるアイデンティティだ。ただのシンプリストでもないし、ガジェットオタクでも、イノベーターでもない。現代ミニマリストとして新たな扉を開けてみようと思う。
ぜひアウトプットを楽しみにしていてください。
PS 毎日1時間の散歩を始めました