みんな大好きナオキマンは陰謀論のYoutuber
「真実を知っている者が、ヒーローになる」

僕は、ズートピアが大好き。過去にもブログを書いています。

多様性が表現されているのがズートピア。ディズニー映画が好きになった一つの作品でもある。

おととい、Xを徘徊していたら、見たことがないシーンが回ってきた。ニックとジュディとヘビが逃げてる。AIには思えない綺麗な映像でズートピア2の宣伝が流れてきたことを知った。

1を見直した。PrimeVideoが220円なのに驚愕した。ズートピアが現代の啓蒙作品だと感動する2時間を過ごした。翌日、天王寺アポロシネマの予約をした。

アポロシネマの入口には、9年前ヒーローだった二匹と、青くてカッコ良いヘビなど、新キャラが飾られていた。

ほどなくして映画は始まり、終わった。

以下にネタバレを書く。



ひとは、真実に興味がある

エリマキトカゲのヘイスースは爬虫類として、気持ち悪いイモムシをニックとジュディに強要(することを半ば演じて)して、彼らがイモムシを食べたのをバカにした。仲間の爬虫類も楽しそう。挑戦することへのアンチテーゼとして描かれた。

序盤の事件でジュディはニトロを引っこ抜き、犯人の車へ乗り移った。ヒーローになろうとしたがメディアで笑いものにされた。ワイルド・スピードのような展開は現実には起きないと洗脳される描写。

しかし一方で、馬の市長・ウィンドダンサーは、ヤマネコのズートピア創設者一族(?)の悪事に加担していたが、ビーバーのニブルズが真実をくり抜いた発言をして、馬鹿(バカ)なヒーローへ豹変する。

砂漠のバーニングマンフェスで踊り狂うヒッピーアニマルのVIPルームには有名アーティスト・ガゼル(名前がない意図を知りたい)。テレビに出ている公人がクレイジーなフェスのVIPルームで何をやっているのだろうと一瞬思わせる。ジュディを手伝うサマはまるでリアルを正しく把握しているかのよう。

これらは「真実に対する選択」。分かりやすさ、強さ、歴史。これらと比べると真実は儚く小さい。証明されてもなお、大衆に伝わるには長い年月がかかる。

序盤のパーティシーンでオーディエンスである私たちは、「青いヘビのゲイリーは危険」と誤認した。最初から彼の言うことは正しかった。しかし本に書かれた創設者は、ヤマネコのパウバート。ゲイリーのひいおばあちゃんが創設者だなんて、私たちはどう信じれば良いか。僕なら、ナオキマンショーを見ても信じられないね。

肉食動物と草食動物の二項対立が描かれ、個性が重要だと訴えられたズートピア1とは打って変わった。トカゲ、ヤマネコ、ビーバーなど第三勢力がそれぞれ主張をする。そのなかで何を選べるか?

多様性を理解するうえでジレンマになる「真実を選択できることの正しさ(能力)」を問う作品だと感じた。

小さなアイデンティティや生物学的な特徴がズートピアでは目立つ。

ウサギが雪に潜り、トカゲは川を走り、ヘビは息継ぎがいらない(厳密にはウミヘビ)。人間社会のメタファーとして描かれる正義の多面構造。一方で「真実は正しい」という客観的なリアルを【誰が選択できるのか?】が描かれている。現実世界とリンクする側面は例えば以下、

1つ目はナオキマンショーが提供するYoutubeでの都市伝説ネタ。大衆に真実を伝える稀有なヒーローだと熱狂的に評価されている。2つ目はバーニングマンのメイン参加者であるヒッピー。特定の思想を共有しあうコミューンが形成されている。どちらも潜在的な目的は「快楽や絆」だけではない。選んだ思想や主義が正しいという感覚への呼応であり共鳴。

真実の追求という本質的な態度が間違っていると思われる≒信用経済のディストピア

ひとつ主張を置いてみた。

リベラルアーツはあるが真実学は無い。抽象より具体、ポジティブよりネガティブの重力が強い社会。哲学者を志すよりもニンジンを稼ぐほうが幸せな人が多い。真実かどうかより、自分がどんな判断をしたかを信じる【唯一性】を大事にする。これは動物の楽園と比べると、ディストピアかもしれない。

ニックとジュディのように評価されず、メディアや知人に冷笑される人は大勢いる。この冷笑してくる人々のことを現代人は【狂っていない】としている。狂っているかもしれない。自分がいいと思ったものが好き(実質的に正しい)という短絡的で、真実に価値を与えない牧歌的な思想は現代に蔓延している。

真実を語る者は、諦めずに挑戦し、いつかニックとジュディに出会えますように。


最後にひとつ

スーパービーバーだったニブルズは真実を言っていた。しかし世間から見れば、胡散臭いのが関の山。

そんな天才を救うのはバカなリーダーである。
作中で、彼が市長として表彰されなかったのは、彼がまた凡な大馬鹿者だからだろう。
個人的に、この作品のMVPは「あのお馬さん」だ。彼が真実を選択できたことを、世界で僕だけは評価していきたい