From オリセンD棟

10年間以上、ずっとここでモノポリーしてたなあ。
モノポリーについては以下の記事

個人的に創作活動のアイデアを湧かせるために、むかし何年も通っていた場所で、当時と同じことをしにいったり、今やっていることを合わせたりすることがあり、これは青春の考え方を深めるときにリンクする。
青春について、ずっと考えている。
2年ほど前から、noteで想いを綴る若者が普通な文化になり、これまで文章と言えば旅人か、ノウハウか、キュレーションばかりだったものが、若者文化にもポエムが馴染んだ気がしている。
青春って、ポエムを綴ることなのかな
僕はブロガーとして、生計を立てていなかったりする。
8歳から2ちゃんねるに書き込む、学校裏サイトを作るなどして、大喜利のように、文章をテーマにあわせてデザインするのが得意です。これなんかいい例かもしれない

イベントの参加者が、口コミを拡散してくれるように、どんな想いでやっているのかを鮮明にしたポエム。ひと記事書くよりも、このように短く、生き様を文体に表したほうが、届くひとには届く。
クラウドファンディングでも、TABIPPOの世界一周コンテストでも、令和の虎に出てプレゼンでも、同じことだと思う。いわゆるポエムとは理念ビジョン。理念とは、このようにあるべきだと決めている価値観のこと。ビジョンとは、どのように進むのはを示した目標のこと。人はこれがあると動く。だから、大衆を巻き込むときにポエムを使うのは、間違っていない。
ポエムとは、青春ではなくエチュードである。
僕にとっては、これがしっくりくる。青春とは「過去と未来と今のあいだ」これはガチ文化祭を運営するうえで定義づけた哲学であり、決して青春を表現するときに高校生みたいにサイゼに行くだけの集まりをコミュニティ内で作ろうとか、耳障りのいい若者の苦悩を言い表した言葉をインスタに載せようとかはしないと決めている。なぜならそれは青春ではなく、「若さや・弱さ」への愛くるしさだからだ。愛くるしさと青春とポエムはすべて違う動機がある。エチュードとは過程という意味があり、ポエムが詩的で美しいけれど中身がないと示唆されるのは主に「成長している過程」のことを言っているだろう。だからポエムというのは軽くて薄いという訳では無いとも思う。また、これだと青春の定義における「あいだ」に接触してないか?と感じるかもしれないけれど、青春の「あいだ」とは、自分がいまその「あいだ」に置かされているということ自体を味わう感性のことを指していて、ポエムが指す「過程」は、過程をメタ的に見て感じることを指す。主体的に発するのが青春であり、客観的に綴るのがポエムだと言い切ってもいい。
ここまで書いて、本題に戻したいと思っているのが、自分は青春を体現し、届ける人間として「時間軸の違う事象を、ほか時間軸にもぶつけて化学反応を起こす」ことを大切にしている。
せっかくなので、ここからはポエムで書き進めようと思う
まだそんなことやってんの?
ある旧友が言った。耳が痛かった。
ここに戻ってくると、いつもそう言われるんだ。
MOROHAの革命は、人間関係が苦しいときほどよく刺さる。
もしかしたら、自分がいないところでは、もっと言われているのかな
このループに入ると、起きるのが遅くなる。
朝からバイトを入れていれば、こんな目に遭わなくてすんだのかな。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなよ」
「今は修行の期間だから、恋愛はしないって決めたんだ。友達とも遊ばない。」
どれも本当の自分ではなくって一つでも欠けたら、すべてが崩れるようなバランス。
これが人生の最適解!って逆に言えるような生き方がしたい。
けれど、できない。
リール動画で堂々と夢を語っている友人が、途端に遠い存在のように感じる。
いますぐ電話をすることができる関係性のはずなのに、自分とは違いすぎて、いや、
自分が、世界のなかで置いてけぼりにされたような気分で、すべてが敵にすら見えてしまう。
まだそんなことやってんの?
そう言ってきたあいつは、間違っていない。
ぼくが、本当のことをみんなに言わないからだ。多分ぼくが本当に思っていることを知りたいだけなんだ。
そんなことは分かってる。
分かってるんだけど。
ぼくにとっては「まだ」じゃなくて、
「今もずっと」大切にしていることなんだ。
まだ続けているんじゃなくて、最初からずっと、抱きしめている夢なんだよ!!
いま即席で書いてみたポエムとして、あるコミュニティでしか本心を出せない反面、そうではない人格が表層する場面で「未熟」だと自己嫌悪に陥ってしまう、かりそめの人間である自身の苦悩を描いた。
ポエムはこのように、定義づけることができる事象を立体的に演出することで、整合性のとれた言語化以上に、認知に寄与する装飾語として機能する。だから、ポエムとはエチュードであるし、作品ではなく芸術なのだ。
このポエムで言いたかったことは、青春とは「ずっと同じことをやっている人」ではないということだ。
時が止まっている人は、存在するかもしれない。
けれど、少なくとも僕は、止まっていない。
「いつでも高校生のような生き方がしたい」と発信すると、好きなことで生きていたい「だけ」なのかな。と誤解されることはある。
僕のなかでは終わらない夏休み
魔法のような「特殊な日常」が続きつつ、
世界が、少しずつ変わっていく、確実に変えていけてる。
そんな気配を味わって、悪あがきをしています。
おとなになっても、子どものようなことをずっとやっていく大切さ
大人が子どものような遊びを発信することの大切さ
僕はそれを大切に生きています。
まだそんなことやってんの?
もしかしたら、僕は「もう」
すごく遠くにいるかもよ。
